生きてます
あっという間に時間が経ってしまい、もはや私はブログ上で「いない人」になっているのではないかと思います。いえ、私自身、自分のブログをのぞいてみることもほとんどなくなっていて、最後の記事の更新から半年近くになっていました。で、おそらくはこの記事をアップしても、以前読んでいてくださっていた方に気づいて頂けないかもしれないんですが、とにかく今も「生きてます」ということで、近況報告をしておきたいと思います。
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あっという間に時間が経ってしまい、もはや私はブログ上で「いない人」になっているのではないかと思います。いえ、私自身、自分のブログをのぞいてみることもほとんどなくなっていて、最後の記事の更新から半年近くになっていました。で、おそらくはこの記事をアップしても、以前読んでいてくださっていた方に気づいて頂けないかもしれないんですが、とにかく今も「生きてます」ということで、近況報告をしておきたいと思います。
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先週、習い事をしているお仲間の一人Mさんに、帰り際、呼び止められた。「あのね、家の事情があって今週いっぱいで辞めることになったの・・」そう聞いて私はとても残念な気持ちになった。Mさんは私よりも一回り年配の方だけれど、何人かで食事をすれば私のような若輩者にも気を配って話を振ってくださるし、常に柔らかな雰囲気をもった上品な方で、「ああ、こんな奥さまになりたいなー」と思っていたのだ。
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先月、娘の小学校卒業を祝うということで、家族旅行に出かけてきた。しばらく家庭の事情で旅行らしい旅行も出かけられなかったこともあってちょっと奮発した旅だったのだが、大多数の方が期末で忙しい時にお休みを取ったバチなのか、帰りの飛行機が燃料系のトラブルで飛ばないなどのアクシデントもあり、色んな意味で印象に残るものになった。いずれにしろ、娘が子供料金で出かける旅行はこれが最後であり(ちなみに、海外の場合は小学生かどうかではなく12歳未満が子供料金)、子連れ旅行の卒業でもあった。
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育児は「育自」とも言われる。子供を育てながら、親もまた育っていく。確かに育児を通して学ぶことは多い。また、私はそれとは別に自分自身の「育ち直し」でもあるんじゃないかと思っている。子供の成長を間近で見ながら、自分の育ってきた道をもう一度辿りなおしているのではないかと。
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先日、我が家の娘が無事に小学校を卒業した。小学校という6年間は長い。心も、身体も、劇的に変わっていく。それだけに「あの小さかった子が、こんなに大きくなって・・」という親の感慨も大きい。卒業式の保護者控え室で顔をそろえた卒業生の親たちは、皆始めからいつもよりも緊張気味で、顔つきも変わっていた。
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スイスやオランダの家々がテレビ等で映し出されるとき、その美しさに感嘆する人は多いと思う。かわいらしい家の窓にこぼれんばかりの花々。花はたいてい赤やピンクのゼラニウムだ。手入れの簡単な多年草で開花時期も長いのだが、あまり寒さには強くない。それだけに霜をよけられるベランダ等には最適な花なのだろう。
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このところずっとイマイチよく分からないのは、「セレブ」という言葉である。語源になったセレブリティーというのはもともと「名士」といった意味なんだろうと思うのだけど、海外セレブと言って指しているのは大抵芸能人である。とすれば、「お金持ち」ということなのだろうか。テレビでは「セレブな奥様」とか「セレブなランチ」とか、とにかくもう「セレブ」の大安売り。結局「セレブ」は「リッチ気分の」ぐらいに私たち庶民にまでぐっと近づいてきてくれたわけだ。まあ、有難いといえば有難い。
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先日、ふと本屋で目にした本を、娘のために買って帰った。「小学5年生」重松清著。帯には「人生で大事なものは、みんな、この季節にあった」とある。小学5年生の男の子が主人公の様々な短編集だ。同年代の男の子の心情には、きっと娘も共感するだろうと思った。で、まずは私が読んでみた。読んでみて、「しまったな」と思ってしまった。
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4月というのは街全体が華やいでいる気がする。誰もがそわそわとして、一生懸命に見える。実際、新しい生活を始めた人は多いだろう。真新しい制服に身を包んだ学生が、スーツ姿の母親に連れられているのを沢山見かけた。
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あれからもう十日が過ぎた。一匹残された我が家の金魚「チル」は一週間ほどはなんとか頑張っていたが、結局深夜、「クル」の後を追ってしまった。
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人には犬派と猫派が居るという。でも、私には選べない。とにかく、どちらも捨てがたいほど好きなのだ。でも、娘から「犬が飼いたい!」と請われての答えは「NO!」だ。ペットはとても可愛いけれど、命が重い。自分よりも先に死んでいってしまうことを思うと、簡単には「うん」と言えないのだ。だから、近所の商店街の夜店で金魚すくいをねだられたときは随分抵抗した。でも、まあ、金魚ぐらいなら、死んでもつらくないかも・・と渋々うなずき、そうして二匹の金魚が我が家にやってきたのだった。一年半前のことだ。
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最近、NHK朝の連続テレビ小説「芋たこなんきん」を見ている。この小説の原案・モデルが作家の田辺聖子氏で、私は小学生以来の大ファンだからだ。エッセイで読んでいた言葉を登場人物たちが語っているのを見るのは、ファンとしてとてもうれしい。また、舞台が昭和40年代のため、なんとなく懐かしい風景に出会える。年が明けてからの放送では季節に合わせてなのかドラマの中でもお正月を迎えていて、自分の子供の頃のことを思い出させてもらった。
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今、年が明けました。
大掃除から続いておせちづくり。一応私も主婦のはしくれなものですから、ずっと立ちっぱなしでへろへろです・・。
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私の高校時代の恩師にY先生という国語の先生がいらっしゃった。ぐいぐいと生徒を惹きつける授業が有名で、その授業法を学びに他校から見学の先生が来ることもあった。私も「右と左の書き順は何故違うのか」などという質問をし、先生は「時間を下さい」と仰ると、次の授業の時には丁寧に説明してくださったものだ。あの先生に出会うのが1年ほど早かったら、私は国文学を学んでいたかもしれない。
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先日、ちょっとした手術を受けて入院した。手術前日までぴんぴんしていて命に関わるようなものではないし、以前に同様の手術をしたことがあって何の心配もしていなかったが、あれから約20年。医術も進歩したろうが私の方もすっかり年季が入っている。「前と同じって訳にはいかないよなあ」と覚悟していた。
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先日、中学時代の友人と会った。彼女とは生活パターンが違うので滅多に会うことはないのだが、娘が宿泊学習に出かけた隙に「夜遊びに連れてってちょうだーい」と頼んだら、快くOKしてくれたのだ。不思議なもので、顔を合わせるとお互い中学の頃の自分に戻ってしまう。それが心地いい。
それで、連れて行かれた、もとい、連れて行ってもらった場所である。そこは、私のイメージに程遠い(かもしれない)、おかまバーであった!
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「カラスは何故鳴くの?」という問いに「カラスの勝手でしょ」はあまりにひどいが、「山に7羽の子ガラスがいるからなのよ」という答えは、カラスと人との関係が昔と今では違うのかなあと思う。今、都会でカラスは厄介者だし、怖いものでしかない。
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黄金週間。今年は並びがいいとかで、長期休暇になった人も多いらしい。成田が混雑しているとか、行楽にでかける人で高速道路は渋滞だとか、そんなニュースを横目で見つつ、我が家は車で一時間の実家やらご近所の公園に出かけていた。もちろん、これはこれで楽しい。特に日頃ばたばたしている主婦の私にとっては、ちょこまかと外食できたのがうれしかった。そして、ご近所においしいパスタのお店を見つけたのも収穫だった。
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もう何度も書いてきたような気がするけれど、私はスポーツというものが苦手だ。自分だけの責任になる個人競技はともかく、チームを組まなくちゃいけない種目は特に嫌いだった。最初のうちは「どんまーい」とか「ガンバ!」とか優しく言ってくれていたチームメイトも、失敗の回数を重ねれば視線が冷たくなる。だから、バスケットの授業なんかでは、パスなどもらわないように、目立たないように、できるだけコートのはしっこを走っていたものだ。
そんな私でも、先日テレビで子供たちの運動能力低下を嘆く番組を見たときには、改めて考え込んでしまった
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私は犬も猫も大好きだ。娘も犬が大好きで、しばらくは「飼いたい!」と随分せがまれたけど、「うちでは飼いません!」といい続けたせいで最近ではあきらめたらしい。私がダメと言ったのは、ペットが居ては好きな旅行に手軽に出かけることができないのもあるが、人間よりも寿命の短い彼らを、いつか見送らざるを得ないのが怖いからだった。私は臆病者なんである。
で、代わりと言ってはなんだけれど、我が家ではよく犬とのふれあい広場のようなところへ出かけている。都内にはこういう施設がいくつもあるが、場所によって本当に雰囲気が違う。私たちがいつも出向くのは、とても人懐こいわんちゃんばかりがいる所だ。
こういうのは、普段そのわんちゃん達がどういう風に扱われているかが出るのだと思う。そこはいつも清潔に保たれているし、わんちゃん達の目におびえがない。人間に全幅の信頼を寄せているのがよくわかる。こちらが座り込むと甘えるようにひざに乗り、まあるくなって頭を私たちの腕にのせる。目を細めて心底リラックスしているわんちゃんの頭をなで、そのことで私たちが癒されていく。その感覚を楽しみに、私たちはいつもでかけるのだった。
今日も例によってそこに出向いたのだが、入ってすぐのところに一匹だけ離されている犬がいた。その犬は私たちの姿を見つけると大喜びで、身を乗り出すようにして囲いに足をかけていた。その姿があまりにかわいかったので私はしばらくその犬をかまってやった。が、ほどなくして、その犬がどうして皆から離されてそこにいるのか分かった。
そのトイプードル、まるでぬいぐるみのように愛くるしいのだが、大きな欠点があった。口のそばにくるもの、全部かんでしまうのである。私が手を寄せると当然のように甘がみしてくるし、気付けば傍らに置かれたぬいぐるみのおもちゃは、噛んだ後だらけでぼろぼろだった。そこは小さい子供も犬と触れ合える施設だ。すぐに噛んでしまう犬を、その集団の中には置いておけなかったのだろう。
時間が経つにつれ、そこは子供連れで大賑わいになっていった。広場のほうでは沢山のわんちゃんと、そのわんちゃんたちをなでたり抱っこしたりする子供たちがうれしそうにはしゃいでいた。でも、隔離された「問題犬」はただ一匹、もくもくとぬいぐるみにかみついていた。
人間と楽しく遊ぶことが使命のこの場所で、あのわんちゃんはこれからどうなっていくんだろう。ちゃんと噛むことをやめ、うまくやっていくことが出来るんだろうか。
どうしてなのかよく分からない。でも私は、今日私のひざの上で上手に甘えていたわんちゃんよりも、あの犬のことがいつまでも気にかかっているのだった。
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色んなことを考えたり、ぼーっとしたりしていました。
が、ぼちぼち、慣らし運転から始めようと思います。
更新頻度がどうなるか分かりませんが、またよろしくお願いいたします。
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ココログが不調で書き込めない時間が長くありました。
ようやく復旧したのですが、ちょっとお詫びをさせていただこうと思います。
今年に入り、かなり投稿がまばらになっていました。ごたごたとしたことが身辺にあって忙しなかったことが一番の原因ですが、その他にも気をとられるようなことはあり、なんとなく文章を書く気分になれなかったのです。私がここで皆さんにお伝えしたかったのは、基本的に「幸せな気分」です。それが、忙しさや心配事のためにちょっと無理になっていました。さらには、他の方の記事へのコメント、トラックバックなども、このところはめっきり減っていました。
久しぶりに、ブログを始めた頃の記事を読み直してみました。ところどころ直したくなるような言い回しのものもありますが、なんだか書くことが楽しいという雰囲気が伝わってきて、「ああ、このころ、色々な意味で安定していたんだな」と思います。そして、「そういう状態の時でなければ書くのは止めておいた方がいいのかもしれないな」と感じました。
すみませんが、しばらくの間、ブログの更新はお休みしようと思います。再開がいつになるのか先のことは分かりませんし、再開しようという気持ちになれるかどうかも、残念ながらよく分かりません。
それでも、いつも読みに来てくださっていた方々には本当に感謝しています。励ましや、アドバイスなど、本当に沢山のお言葉を頂きました。改めて御礼申し上げます。また元気になって以前のような記事がかけるようになれましたら、またこちらに遊びに来ていただけれたらと、我侭なことを願っております。
ありがとうございました。
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美容院なんかでファッション雑誌を読んでいると「あんたのファッション、まるでダメ」と言われているようでなんとなく落ち込んだり、腹を立てたりしてしまう。でも、それと同時に元気をもらうこともある。
こういった雑誌にはたいてい今をときめく女性のインタービューやエッセイが載っているが、旬であるだけに輝いていて美しい。それだけでなく、「私はこう生きてます!」という言葉を持っている。その前向きな姿勢が私たちにパワーをくれるのだ。我ながら単純だと思う。
まあ、でも、こういうものをよく見かけるということは、お手本を求める女性は多いのだろう。「こうありたい」という具体的なイメージが女性を努力させるのかもしれない。そして、記事で紹介された素敵な洋服や肌が美しく見えるという化粧品に手が伸びるというしくみだ。
でも、その憧れの先には何があるんだろう。なんてことを考えながら本屋を歩いていたら、あるコーナーで立ち止まってしまった。同じようなタイトルの本が沢山並んでいる。そのどれも、「本当の愛を得る方法(平たく言えば、本カノになる方法)」が記述されているようだった。
こんなこっぱずかしいことを堂々と文字にするのはどんな人だろうと思ってしまうが、ほとんどは男性が著者だというのが面白い。つまり、体験談ではなくて、「男とはこう考えていますよ」と教えてくれているわけだ。男性へのアンケート結果で記事を構成することが多い女性誌もあることだし、結局、女は「男に、それも本命の男性にどう思われるか」ということが判断基準のひとつだということなのかもしれない。
じゃあ、対する男性はどうか。うちの夫は雑誌といえばコンピューターだの、カメラだの、車のものしか読まないからよく分からない。でも、先日今流行の「ちょいワルおやじ」向けの雑誌を読んでみたら、キーワードは「いかに女にモテるか」ということだった。そういえば男性向けの週刊誌にもこういった特集はよく見かける。そしてこれは配偶者がいるとかいないとか、年齢がいくつかといったことは関係ないようだ。
もちろん、男性も女性も、雑誌から浮かび上がるようなステレオタイプの人間ばかりじゃない。そういうのからちょぴっと外れた感のある私みたいな人もいる。でも、真実の愛を得るために努力を重ねる女たちと、より沢山の愛を得ようとする男たちという図式がある程度存在するとしたら・・・
男と女が分かり合うのは、やっぱり難しいのかもしれない。
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久しぶりに学生時代の仲間が集まった。私のいた学部は一学年に1000人もいて、そのうち女子はたった8人だった。1%以下。これはもう誤差の数字である。だから、馬が合うとか合わないとか以前に仲間意識は強かった。それでも、そんな境遇をわざわざ選ぶような人達だから皆個性は強く、いつも何かに忙しいせいで全員が集まったことがほとんどない。卒業間際にレストランで開いたランチ一度きりだった。
卒業してからは尚更だった。いつも誰かしら海外に住んでいたし、何より仕事で忙しい。私みたいに主婦をやっているとちっともみんなが構ってくれない。ちょっとくさったりもするけれど、それぞれの境遇や考え方を尊重して決して意見するということがないから、疎外感を感じるわけではない。大切な友達であることに違いはなかった。
今回はなんとか集まってそれでも4人。当時からもてなし上手だったFが昼食を用意してくれ、ケーキやらワインやらを持ち寄り、あの頃の思い出話や近況報告を肴にぺちゃくちゃとおしゃべりした。それはなかなか尽きることがなかった。そして、皆、変わっていないようで、やっぱり少し変化してきていることに気付く。
あの頃は皆、トイレに行くのにも苦労した。男の子たちと食事をしていれば、なんだかんだと噂されたりもした。こちらが女だというだけでむやみに敵対心をぶつけてくるわけの分からない男もいたし、影で批判されたりもした。当時からそんなことには動じない子もいたけれど、片意地張って突っ張っていた部分はあったと思う。私なんて、ハリネズミ状態だったような気がする。
なのに、今回会った面々は皆無理している感じがなかった。自然体なのだ。今まで自分が生きてきたことへの自信がそうさせるのだろうか。時を重ねるということはそういうことなのかもしれないと、笑顔の彼女たちを見て思った。
ちなみに今回皆が集まったきっかけは、仲間の一人Nが海外赴任することになったから。結婚以来もう何年も別居婚を続けてきた彼女だけど、海外赴任にあたって旦那様が休職して付いてきてくれることになり、お子さんも含めて3人、初めて家族水入らずの時を過ごすという。海外での生活に不安を感じる面はあるにしても、彼女の顔は晴れやかで、希望に満ちてもいた。彼女がその生活を元気に乗り切れますように。より楽しめますように。
彼女の新しい門出に、乾杯。
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夕方、娘と一緒に自転車を走らせていると、どこからともなく夕餉の支度をする匂いがしてきた。「あー、お腹ぺこぺこー」と言い合いながら、少し感傷的な気分になってしまった。どうして、こうして漂う匂いはどれもとてもおいしそうなんだろう。そして、西の空のたそがれとセットになって、何やら切ない思いがするのはどうしてなんだろう。こういう気持ちは、子供の頃とあまり変わらないと思う。
私の子供時代は「遊べや遊べ」だった。文字通り、日焼けや泥で真っ黒になるまで遊んだ。辺りが暗くなり、あちこちからいい香りがしてきて、初めて夕方になったのを知った。どうせ明日はまた来るのに、一日が長い子供にはそれが果てしなく先のことに思えて、遊びを切り上げるのがもったいなくて仕方がなかった。「じゃあね」と手を振る友達の顔も悲しげに見えた。
それでも、家に戻れば明るく灯がともっていて、母が用意してくれた夕ご飯が食卓に載っている。「もう、決して食べ過ぎません!」と誓いたくなるほど、お腹がぱんぱんになるまで食べてしまうのだった。
今、私は主婦になって、時々ふとさびしい気持ちになることがある。もうどんなにお腹を空かして家に帰っても、暖かく作られた料理が待っていることはない。自分でお鍋をうんしょとガス台ににのっけて、おいもやら大根を煮なくちゃいけないのだ。
誰かが自分のために用意してくれた食事はおいしい。それが自分の家であれば尚のこと。女が一度家を出て家庭の中に入ってしまうと、もうそんなことは多分ずうっとなくなるのだということに、私は結婚してから気付いた。
今や私は、そんな形の幸福を、与える側になっている。娘も大きくなってそうと気付くときがくるのだろうか。思い出す香りは、どんな料理だろう。
今夕、家路を急ぎながらあの頃のような光景を夢想してみたけれど、たどり着いた我が家は当然真っ暗だった。そして、私は急いで娘や夫のためにお米を研ぎ始めたのだった。
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東京は昨日に引き続き今夜も雨が降っている。ひところはあんなに冷え込んでいたのに、今は気温が上がって間違っても雪にはなりそうにない。
娘は「雪になったらいいのになあ」とよくつぶやく。でも、その度私は「ああ、この子は本当に東京育ちなんだな」と思う。雪深い地方に住む子供たちは、多分そんなことを思ってなどいない。初冬、ちらちら舞い降りる初雪にちょっと喜んではみるものの、「とうとう来たか」と身構えもするのだ。高校生のとき、赴任したばかりの先生が大はしゃぎで「みなさーん、雪よ! 雪!」と窓辺に走り寄るのを、生徒みんなであんぐりと見ていた記憶がある。あの先生は静岡育ちだった。
子供の頃、雪が積もった朝は外から聞こえる音でそれと知った。しゃんしゃんしゃん・・・。まるでそりを引いたトナカイが鳴らす鈴のような音が通りから響いてくる。車のタイヤに巻くチェーンの音だ。そして、がしゃっがしゃっと雪かきをするスコップの音。ごうごうと鳴る除雪車の音。雪が降っている夜は吸い込まれるように静かなのに、朝になると様々な音で騒がしいのだった。
ちっちゃなかまくらや雪だるまを作ったり、ミニスキーで遊んだり、雪合戦をしたり。それらは子供にとって楽しかった。でも、あんまり幼かった私は、危険だというのでぼさぼさと雪の降っているときは外出禁止だった。そして、そういう日のほうがはるかに多かった。道路の端はどぶが雪に隠れていて危ないので真ん中を歩くように言われ、屋根の雪が落ちてくるのでその下は絶対に歩かないようにときつく言い渡された。
雪が降り続いていると、両親がそろそろ雪下ろしをするべきかどうか話し合っていた。例え夜中でも。そんな時の「みしっみしっ」という音は心底怖かった。我が家はぼろやだったから、放っておけば家がつぶれてしまう。両親の実家は遠く離れていたが、それが理由でお正月に家を空けるのは無理だった。いや、家がつぶれないまでも、ちょっと気を抜くとどこかの戸が開かなくなってしまう。そして、一度開かなくなってしまうと、どんなに雪下ろしをしても春までは元に戻らなくなるのだ。
今は屋根にも工夫がされ、道路には消雪パイプが設置、スタッドレスタイヤも随分進化して、私の子供の頃とでは状況が随分変わったと思う。それでも、テレビのニュースで映される映像は狭い路地に除雪車が入れず、人がせっせと雪かきをしている。「もう、限界・・」そう言って涙ぐむお年寄りに、あの頃見上げていたねずみ色の空を思い出して、思わずもらい泣きしそうになってしまう。
雨は今、それらの土地にも降っている。今度はなだれの心配だ。私は都会に居て何をすることも出来ない。ただただ、祈っているばかりである。
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私がよく行くスーパーには薬局コーナーがある。普段あまりそこで買い物をすることはないのだけれど、「今年こそはダイエットするぞ」と心に決めていた私は、「なんかいいものないかなー」と薬棚を見て回ってみた(薬に頼ろうとする時点で、既に落伍者だけど)。そして、沢山のダイエット商品以外にもビタミン剤などの健康錠剤が何種類も売られていることに気付いた。いつからこんなに多くなったんだろう。それとも以前からこんな風だったろうか?
さらに奥には、冷蔵庫になった棚に沢山の栄養ドリンクが大切に売られていた。どぎついパッケージの色にくらくらしてしまうが、それが自分を元気にしてくれるということなのかもしれない。そして、元気にしてもらいたい人は多いのだろう。だからこそ、こんなに沢山の種類が売られているのだ。
それにしても、と思う。野菜ではなく錠剤でビタミンを摂り、疲れた身体を栄養ドリンクで誤魔化して仕事する。なんて日本人は不健康なことか。
ため息をつきつつ棚を見つめていた私だったが、実はもっとすごいものを見つけてしまった。子供用リ○ビタン。ユン○ルJr.などなど・・。そう、子供用のドリンク剤だ。
調べてみたらもう随分前から商品化されていたらしい。病後で弱っているときの栄養補給だとか、受験勉強などで頑張りたいときに飲むものだそうだ。大人用と違ってカフェインやアルコールが抜いてある。でも、私にはどうも子供がそんなもので元気になるとは思えない。お母さん手作りの卵雑炊のほうがよっぽど効果があると思ってしまう。
ついこの間も子供用化粧品について書いたけれど、本当に近頃は商品の大人と子供の境目がなくなってきている気がして仕方ない。いずれは子供用のネイルサロンやエステ、果ては銀行や証券会社まで現れるかもしれない。でも、大人と同じように扱われ、それで子供たちは幸せなんだろうか。「大人ってずるい」「早く自分も大人になりたい」とそう思ってこそ、今とは違う自分を思い浮かべて頑張るんじゃないだろうか。
子供が大人化しているのか。それとも大人が子供化しているのか。いづれにせよ、栄養ドリンクを飲みつつ受験勉強をする小学生は幸福には思えないけどなあと、その姿を想像しては何やら落ち着かない気持ちになるのだった。
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うちの娘は大晦日をとても楽しみにしている。年に一度夜更かしの出来る日。家族みんなで紅白を見ながら、みかんとかポテトチップスを食べる。親のほうはもうとっくに紅白を見るつもりもなくなっているし(だからと言って格闘技も見ないが)、娘も別に目当ての歌手がいるわけでもないのだけれど、やっぱり紅白というお祭りは特別だと思っているらしい。眠い目をこすりつつ、それでも懸命に最後まで起きていた。そうやって家族で楽しく年越しを迎え、みんななんとなく華やいだ気分で床に入ったのだった。
初夢と呼ぶのは元旦の夜と、二日の夜との二つの説があるらしい。でも、本当は、年を越したその夜にみる夢が今年最初のものになるはずだと思う。私にとってのその初夢。それは決して気持ちのよいものではなかった。
夢の中で私は夫とどこかのバーで飲んでいた。娘を自宅に置いたまま。ちなみに私はほとんどお酒を飲むことはない。それに、夜はおろか、昼でも、娘一人を置いて夫婦で出かけたこともない。
夢の中の私も、「なんでこんなことをしてるんだろう」と思っていた。なんだか不安で、やっぱり帰ろうと思い、念のため自宅に電話を入れた。・・が、誰も出ない。おかしい。夜はまだそんなに遅くない。娘が起きているはずの時間だ。何かあったんだろうか。心臓がばくばくと音をたてる。
「すぐにでも帰らなくちゃ」あせる気持ちを抑えつつ電話を切る。と、その同じ携帯電話から呼び出し音が響いてきた。娘からだろうか? 慌てて受話器を耳にあてると、男の声が「もしもし」と言った。
この後、もし「娘さんは預かっている」なんていうのが聞こえてきたなら、「ああ、最近、その手の事件が多くて、潜在的に恐怖を感じていたんだろうな」と思っただろう。でも、男の言葉は違った。
「いいか? 忠告しておくからな・・・鍵を持っているとは言っても、鍵を開けるのには時間がかかるんだからな」そして電話が切れた。次の瞬間、娘が一人で家の鍵を開けようとしているランドセルを背負った後姿が頭に浮かび、寝汗をじっとりかいて目が覚めた。
暗い寝床の中で、私はその言葉を反芻していた。あの言葉の意味していたものはなんだろう。小学生が一人で家の鍵を開けている瞬間、子供は無防備になる。今まで深く考えてこなかったのだけれど、確かにとても危険だ。夢の電話はまさに「忠告」してくれたことになる。
なんであんな夢を新年早々みたのかは分からない。それでも、こういう世の中では色々な不安がいつ身近に起こるか分からない。その辺が悲しいところだ。もう一度寝なおした翌朝、家族ででかけた初詣では、「神様、娘をお守りください。そして、私も気をつけます」といつもより念入りにお参りしたのだった。
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初笑いはブログだった。「今流行りのブログをはじめました」と書かれた友人からの年賀状。どれどれとのぞいた先(ここ)の文章は彼女のキャラクターそのもので、その情景が思い浮かぶだけに笑いがこみあげて仕方がなかった。本人を知ると言うことは、ブログの見え方も変えるのかもしれないと、改めて思ってしまった。
ブログを始めて2年近く。その前からHPも作っていたし、さらにはパソコン通信もちょこちょこと利用してきた。それらを通じて知り合い、その後もずっとお付き合いし続けている方もいる。でも、ネット上の自分とリアルな自分との違いが今でも気恥ずかしくて仕方がない。ましてやブログではある一定のイメージが出来上がってしまっていることを自覚しているから、基本的に既知の友人には知らせていないし、オフ会も避けてきた。どちらにも、「イメージと違った」と言われてしまうのが怖かったのだ。
せっかく知った友人のブログ。この機会だからブログ間の交流をと思っても、そんな消極的な気持ちがブレーキをかける。ううむ。どうしよう。でも、ただ彼女のブログをのぞいているだけなのも気が引ける。どうしたものか・・。
あれこれと悩むこと半日。で、結論。そろそろ引っ込み思案な自分を変えてみるのも悪くないかもしれない。そっと彼女のブログにトラックバックしてみよう。そして、一体私が誰なのか、彼女にこっそり予想してもらおう(分かったらメールしてね)。
それから、今年はリアルとフィクションの間を埋める努力もしてみよう。機会があれば、オフ会参加もあり得るかも。
というわけで、今年、Kakoはほんの少しイメージが変わるかもしれません(笑)。そんな自分を楽しもうと思いますので、どうぞ皆様、今年もよろしくお願いいたします。
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今年ももう間もなく暮れようとしています。みなさんにとって2005年はどんな年だったでしょうか。
私には、「生きるということ」について考えさせられた一年でした。
今年、私は何人かの身近な人を見送りました。彼らは皆若く、そして全て突然の出来事でした。生きることとそうでないことは紙一重で、それなのにそれはとても大きな違いで、その前に人はとても無力なのだと知ったのでした。それでも私達は生きています。日々は続いています。
来年、私は「どう生きていくのか」を考える年にしたいなあと思っています。
今年、コメントやトラバックいただいた方、あるいはメール等で励ましてくださった方、そして密かに読んでいてくださった方。皆様、本当にどうもありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。
どうぞよいお年をお迎えください。
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年末。大掃除だおせち作りだと忙しいはずなのに、つい録画していた「プロジェクトX最終回」を家族で見てしまった。大げさとも言える演出が気にはなるけれど、やっぱり一生懸命頑張っている人を見るのは気持ちいいし、自分自身の経験になぞらえ、感動させられる。それがこの番組の人気の秘密だったんだろう。
新製品開発プロジェクト。難関工事プロジェクト・・。数々の試練を乗り越えて挑む男たち。話の内容は既に知っているにもかかわらず私はついうるうるとし、娘から覗き込まれて「お母さん、泣いてるぅー」などと言わてしまう。いまやまっとうな専業主婦のつもりなのに、これでは居酒屋でプロジェクトXを熱く語る「X親父」と同じだ。
私もメーカーの技術者のはしくれだったことがあるから、特にそういう関連の話には弱いのだ。ちまちまと実験やら失敗やらを繰り返しながら、それでも最後に製品が出荷されたときの喜びを知っているからだろう。その瞬間は「会社に貢献した」なんて意識はなく、ただひたすら達成感に浸っていた覚えがある。
ましてや、その作品が何らかの評価を受けたりすると本当にうれしい。実際、ある雑誌で私が一部の設計を担当した製品が紹介されていたことがあった。特定の人しか利用しないと思われるその製品は出荷台数も少なく、ヒットするはずがない。でも、その記事の中で製品を片手にした著名人は、「これ、便利なんで、手放せないんですよ」とにっこり微笑んでいた。その写真を見ながら、「人が幸福を感じるのはこういう時なのかな」と思った。
実は私以上に夫が「プロジェクトX」のファンである。実際は仕事が忙しくて放送を見ることが出来たのは数えるほどしかなかったのだけれど、いつかプロジェクトXに出るのが夢だったらしい。「残念だねー。出演する前に番組が終わっちゃって」そう私が水を向けると、「あ、あれは9割以上冗談だよぉ」と苦笑した。が、私は半分ぐらいは本気だったんじゃないかとにらんでいる。そしてそれは「成功したい」ということではなく、一つことを成し遂げた人々のあの顔に、夫もまた成りたいということではないかと思う。
「幸せだった」そう言える人生にするには、今、自分は何をするべきなんだろう。番組を見ながら感動しつつも、少し、あせりのようなものも感じた年の瀬だった。
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少々体調を崩しまして(単なる食べ過ぎです)、このところ更新が途絶えておりました。・・が、明日からはネットから少々遠ざかります。コメントへのお返事等しばらく出来ませんので、申し訳ありません。
皆様、素敵なクリスマスをお迎えください。
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このところ色々なことがあったせいなのか、会いたい人に「いつか会える」と思うのはもうやめて、「会いたい時は会おう」と思うようになってきていた。そう心に決めて旧知の人におそるおそる連絡をとってみると、これが案外喜んでくれたりして、うれしい。そうやって、先日その人とはほぼ十年ぶりに会うことができたのだった。
彼女は、私が仕事をしていた頃の職場の先輩だ。新人で右も左も分からない私にいつも優しく声をかけてくださっていて、私はずいぶん甘えさせてもらっていたように思う。そして、若気のいたりというのか、多分、ご迷惑もおかけしていたに違いない。
あの頃の私は恥ずかしい失敗ばかりしていた。慌てて行動するので職場のゴミ箱をしょっちゅう盛大に蹴飛ばしていたし、大切な書類をどこかに置き忘れてきたりしていた。今思えば周りを気遣う余裕もなくて、余計なことまで口にしてしまっていたと思う。そんな一つ一つをふと思い出しては、今でも「あれは取り消したい!」と一人顔を赤らめてしまったりするのだ。
果たして、ランチのお皿をつつきながら、話はその頃の思い出話になった。先輩からは私本人も忘れていた失敗談が出てきて、「はー、やっぱり、私は恥ずかしい人間だー」と思わずにはいられなかったが、先輩はそれでも「あれは面白かったー」ところころ笑った。その笑顔を見ていたら、私は、ちょっといつもとは違う心持になっていることに気付いた。
あの頃私は、「仕方がないなあ」とあきれられていたのだと思う。でも、そんな風に周りの方々から温かく見守ってももらっていたのだ
それから、先輩はこうも言った。「あの頃、あの部署は信じられないくらい忙しかったから新人を育てる余裕がなくて、すぐに即戦力として働いてもらってたんだよね。だから、見ていてかわいそうで仕方なかった」と。私自身に、そんな気はまったくなかった。むしろ、学生時代に真面目に勉強していれば、もっと仕事ができただろうにと恐縮していた。
「若い」というのはそれだけ拙くて、未完成で、恥ずかしいことだらけだ。この間まで、私はそれを否定的にみることが多かったと思う。でも、先輩と話をしていて、いい加減、あの頃の自分を認めてあげてもいいんじゃないかという気になった。「頑張ってたじゃん、私」未熟な分一生懸命突っ走っていた若い自分を、恥じるよりもほめてあげたくなった。
それがすなわち「年を取った」ということなのだろうか。でも、それなら年を取ることもそう悪くはない。そんな風に思わせていただいた、貴重な再会だった。
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我が家の玄関先に置かれていた、鉢植えの小菊が満開になった。11月に入ってぽつぽつと花を咲かせていたのが、このところの肌寒さのせいなのか一気にかわいらしい黄色い花を沢山つけたのだ。玄関周りが明るくなって、犬の散歩で通りかかった人から「きれいですね」と声をかけていただいたりする。「ありがとうございます」と返しつつ、私はちょっと感慨深い気持ちになる。
この菊の挿し穂を頂いたのは去年の春のこと。長さ約5センチ程度で葉もたった2,3枚だった。でも、小さな根がひょろひょろと付いたその苗は、娘が後生大事に持って帰ってくる間に、ぎゅっと握ってしまったためか途中で折れてしまっていた。
どうしようか。無理だよね。こんなになっていたら育たないよ。そう言いながら、それでも余っていた鉢に、折れた部分まで土の中にもぐらせるようにして植え込んだ。そこからはちょっと大き目の葉っぱが一枚、土の上にでているだけだ。しかも、日に日にそれは萎びていき、色も悪くなっていく。私も、娘も、もうこれは当然かれてしまうのだろうと、あきらめかけていた。
ところが、である。数週間もしたころだったろうか。その葉っぱと土との間の茎の部分に、ちっちゃなちっちゃな葉が顔をのぞかせはじめたのである。「もしかしたら・・」私たちは小指の先ほどの葉に期待し、夏に向け日差しがじりじりと強くなっていく中、毎日せっせと水をやった。
小菊はそれに応えてくれた。ちっちゃな葉がゆっくりと少しずつ増えていく。確実に成長していく。昨秋の花の季節にこそ間に合わなかったけれど、小菊はそうやって無事に夏、秋、冬と乗り越えていった。そして、次の春を迎える頃にはしっかりとした苗になり、こうして秋を迎えることが出来たのだ。
あの時たった一枚の葉っぱでしかなかった小菊が、今、目の前できれいに咲き誇っている。赤茶色に変色した葉っぱを思い出すと、ここまで回復したのがうそのようだ。そのことが単純にうれしい。「あの時、捨ててしまったりしないで、本当によかったね」娘とそう言い合いながら、何度も小菊をながめてしまう。
こんなところにも、小さな幸せはあるのだった。
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高校生の頃、とある地方都市のニュータウンに住んでいた。山肌に沿うように家が立ち並び、山全体が住宅街になっているのだった。私が住んだ家は坂を登った一番奥の突き当たりだったから、家の前の道路はそのまま本物の山にさえぎられていた。夜になると道路を狸が横切ったし、下手すると朝もやの中カッコウの鳴き声が響いてくるのだ。
学校の帰り道、バス停から家まではあはあ息を弾ませながら山を登り、おかげで少しは体力がついたかもしれないが、夜になるとしんと静まり返るのが怖かった。それでも、秋、前方の山々が日一日と姿を変えていくのを楽しみにもしていた。
黄色と赤と。同じに見える日はなかった。色は少しずつ鮮やかになっていき、ある日、とんでもなく燃えた色に染まる。ほんのりと灯った街灯に浮かび上がる様は、息を飲むようだった。私は、家の前でただ呆然と眺めたものだ。でも、その風景はまた少しずつ色あせていって葉が落ち、すぐに雪に覆われてしまう。毎日その移ろいを眺めながら、最も美しいときはほんの少しの間しかないことを思い知った。
そう、紅葉はタイミングだ。山なら高低差でどこかは見ごろかもしれないが、平地ではそうもいかない。最も美しいときを見たいのなら、タイミングを計らないといけない。そう思っていた10年前の私は、素晴らしいと言われ、それでも見たことがなかった京都の紅葉を、旅館の予約をすることもなく日帰りで見に行こうと決めた。ニュースを毎日眺め、「見ごろを迎えました」の言葉を待つ。そして、いよいよその日、私は傍らで寝ていた夫に「今日にする」と告げると家を出、新幹線に飛び乗った。
数時間でたどり着いた京都の秋は、もう充分深かった。そして、私は京都の紅葉が何故美しいといわれるのか良く分かった。赤の色が違う。東京で見る茶色がかってくすんだレンガ色とでは、同じもみじだというのが信じられないくらいだった。
私は夢中で嵐山を歩き回り、写真を撮りまくって、夜にはライトアップされた清水寺まで堪能し、東京行き最終の新幹線に乗っていた。歩き回ったせいでふくらはぎが痛かったけれど、あんな充実した一日はなかったかもしれない。それ以来、残念ながら秋の京都は訪れる機会がない。
10月頃からだろうか。書店には沢山の旅行ガイドが並ぶ。どれも、紅葉が美しい京都の写真が表紙になって旅情をそそる。そんなガイドに書いてある極上の旅館で最高のもてなしを受けつつ愛でるのも心魅かれるけれど、それはもうちょっと年齢を重ねてからでもいい。その最高の旬を身軽に動いて楽しむのもやっぱり贅沢なんじゃないかなあと、ちっとも身軽でなくなってしまった私は思うのだった。
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私と夫が付き合い始めたばかりの頃だから、もうかれこれ20年ほど前のことになる。「高校時代、好きなアイドルとか、いた?」という私の問いに夫はなかなか答えず、そして気恥ずかしそうに口にした名は「本田美奈子」だった。
えっ? あのお腹出してる? 茶髪の? 真面目が服を着て歩いているような夫にはあまりにも似合わなかった。「なんで?」「どういうところが?」畳み掛ける私に夫はふくれっつらで、「いいでしょ、別に」と言ったきり、何も教えてくれなかった。
彼女を久しぶりにテレビで見たのは去年の春のことだ。ある番組で特集されていたのを偶然見かけたのだった。アイドル歌手からミュージカル女優へと脱皮したのは知っていたが、活躍の場をクラシックに広げていたことはその番組で知った。彼女はその中で幸せそうに歌を歌い、「レッスンすることでどんどん音域が広がっていくのがうれしくてしかない」と目をきらきらさせていた。その様子に司会の北野武が「(出会うべきものに)出会ったということなんだろうね」という意味のことを言っていたのだが、私も同じことを考えていた。
出会うべきものに出会える。そんな幸せは誰もがつかめるものじゃない。うらやましいと思いつつ、何も努力していない自分はそう思う資格さえないのかもしれないなあと感じていた。が、その後間もなく彼女は急性骨髄性白血病の発病。10ヶ月の入院。
訃報はネットのニュースで知った。別室で同じようにパソコンに向かっている夫のもとに行って声をかけた。「ニュース、見た?」「うん、見た」「まだ若いのにね」
夢半ばの人の死はやりきれない。小さな子供も。私たちの同年代でも。その人の無念さを想像してしまうから。残された人の悲しみが分かるから。
夫はキーボードの上の手を止めて、ぽつりと「白血病かあ・・」とつぶやいた。
故人のご冥福をお祈りします。
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この数日は本当に穏やかなお天気が続いていて、庭仕事にも精が出る。さわやかな青空の下で娘と一緒に土に触れるのは、本当に気持ちがいい。庭いじりをしている間、すぐ前の道路ではいつもの近所のおじいさんがバットの素振りをしていた。当然のように私とは会話になる。そういえば、最近この辺りに引っ越してきた方が、私とおじいさんを同居の舅と嫁だと思っていたらしい。それぐらい、私とおじいさんはいつも立ち話をしている。
おじいさんはかなりの高齢なので、元気ではあっても同じ話が何度も繰り返される。今日もまた海軍に所属してラバウルに行ったときの話だ。私はいつものように花の手入れをしながらおじいさんの話に相槌をうつ。
「海軍というところではね、色々なこと学ばせてもらったよ。いいところだった」でも、懐かしそうに語った後で、こう付け加えた。「二十歳になるかならないかの仲間がね、沢山亡くなった。あんな大きなアメリカと戦争するなんて、やっぱり間違いだったな」おじいさんはバットを振り続ける。
「亡くなった者がいて、私のようにこうして生き残ったのもいる。もう、ね。これは神仏が決めていることなんだと思うんだ。仕方のないことなんだな」おじいさんはしみじみと語っていた。
「私はこの年になっても聴診器で診てもらうようなことはないの。健康でね。こんな自分の年も分からないぐらいまで生きてきて、でもこうやって健康でいられる。これも神仏が私に与えてくれたことなんだよなあと思うんだ」
「本当にありがたいことだなあと思うよ。こうしてお話を出来るご近所さんがいて。こんな静かな素敵なところに住めて。このご恩をみんなに返したいと思うんだけれど、なかなか難しくてねえ」おじいさんの言葉は半ば独り言みたいだったけれど、今の私には一言一言がとても心に沁みた。
そろそろ引き上げようかと思った頃、おじいさんは空を見上げて言った。「太陽っていうのはすごいねえ。やっぱりこの世の中で一番えらいのは太陽だねえ。いや、太陽を作った神様が一番かなあ」そして、続けた。「奥さんは、今日の太陽みたいな人だね」
そんなの、とんでもない話だ。私はいつもうじうじ悩んだり、娘を怒りつけたりしているんだから。そう反論しようとしたらおじいさんは言った。「実をいうと、だんなさんはもっといい人だと思うね。あれは立派な男だね。男が男に惚れるっていうのは、こういうのを言うんだね」
私は少し吹いてしまった。だって、おじいさんとうちの夫は毎朝挨拶を交わすだけで、会話なんてしたことがなかったのだから。そんなおじいさんの人間観察眼、正しいのかどうかちょっと分からない。でも、帰ってきた夫にこの話をしたら、夫は喜んでくれるだろうか。
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一昨日の記事にコメントを寄せてくださった三人の方々、また、これに関するほかの記事でコメント、メールなどで励ましてくださった皆様、本当にありがとうございます。話が話だけに身近な人達に相談というわけにもいかず、もんもんと悩んだ中で皆さんのお言葉には本当に勇気付けられました。改めて御礼申し上げます。
今回のこの件に関しては、先生にお話して一応の解決はつきました。詳しいことはお話できないのですが、想像していたよりも根が深い問題ということではなさそうなので、今後のことは多少気になるものの少し安堵しているところです。ご心配をおかけしました。
まあ、ただ、事実を告げた娘に、まず担任の先生は「これこれこういうところをあなたが直せば、こういういたずらもされなくなるんじゃないか?」と諭したのだそうで、ショックを受けている娘にこういう対応はどうなんだろう? という気がしないでもありません。が、これ以上このことについて話すと本当に愚痴モードに入ってしまうので、今は避けたいと思います。
とにかく、問題は時間と環境の変化が解決していくと強く感じています。今はやはり、娘を暖かく見守っていこうと思います。皆様、本当にありがとうございました。
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先日田辺聖子氏のエッセイを読んでいたら、市松人形について書かれていた。あの黒髪の着せ替え人形は、もともと着物を着ない裸で売られているものだったらしい。当時は皆和裁ぐらい誰でもできたから、母親は娘のために人形の着物を縫い上げたのだろう。あるいは、年頃になった娘が、練習用に作ったりもしたのかもしれない。
そういえば、我が家にも市松人形大の人形があった。記憶があやふやなのだけれど、確かアンジェネとかいう名前だった気がする(かなりあやふや・・)。それなりに人気があったので、持っていた方もいるかもしれない。そのお人形はきちんとお洋服を着て売られていた。オリーブ色の細かな花柄のワンピースに白のエプロン。下着はいわゆるズロースで、多分、あのスタイルは開拓時代のアメリカの女の子を模したものだろう。
教育方針とやらで滅多におもちゃを買ってもらえない家庭だったから、何かのおみやげで父が買って帰ってくれたときはそりゃあ大喜びだった。妹と二人、いつまでもいつまでもお人形遊びに興じていた。その様子に母も目を細めていたのだろうと思う。ある日目が覚めると、私と妹の枕元に一枚ずつ、お人形の着替えの服が置かれていた。黄色地に鮮やかな花柄。私に作ってくれたワンピースと同じだ。母が縫ってくれたものに違いなかった。
後で聞くと、別に型紙を作るわけでもなく、「適当にぱっぱっと作った」らしい。それでも、そのときの私も妹もうれしくて、友達がくると誇らしげに「これ、うちのお母さんが作ったんだよー」と言っては、もともと人形が着ていた服よりも大切にしていた。そういう時代だったこともあって、セーターやらサンドレスなど母が私に作ってくれたものは沢山あったけど、人形のお洋服のことが一番心に残っているのは何故だろう。それが実用品ではなく、あくまで私たちのお遊びのものだったからなのかもしれない。
振り返って、私は娘に心に残ることをしてあげられているかと反省してしまう。私も不器用をおして娘にセーターを編んだり、自分のコートやワンピースを娘用にリフォームしたりぐらいのことはするけれど、それは「もったいない」という気持ちが一番大きい。その辺は娘にも伝わってしまっているかもしれない。
私も遊び心のあるものを何か娘に作ってあげようかな・・そう思いつつ娘の部屋を見回して気付いた。娘ときたら人形があまり好きじゃないと言って、持っているのはぬいぐるみばかりだ。ううむ。だとすると、私が作れるのは、巨大ラスカルの腹巻ぐらい・・? 母親が娘のために一針ヒト針心をこめるものとしては、あまりにも夢がないかなあと苦笑してしまうのだった。
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私の父と母はお見合い結婚だった。10月に見合いし、11月に打ち合わせをし、12月、三度目に会ったのが結婚式だったという。「当日、式場で相手が分かるかどうか、不安だった」というのだから、今では考えられないことだと思う。
相手をよく知らないまま一緒に暮らし始め、そしてすぐに私が宿った。が、「あの頃から、どこか抜けてた」と母が言うとおり、9月末の予定日を過ぎてもいっこうに生まれる気配がない。あまりに遅くなるとよくない、というので、母は入院させられ、色々な処置を受けたらしい。
今は里帰り出産も当たり前だが、当時はどれくらいの人がしていたのだろう。母は父の仕事の関係でそれぞれの実家から遠く離れたところに住んでいたから、当然、里帰りしたかったようだ。が、祖母、つまり、母にとっての姑が許さなかった。母が里帰りすれば父は一人で暮らさなければいけない。かわいい息子に不自由させるのはまかりならん、というわけだ。
祖母は聡明で優しい人だったが、とにかく父を溺愛していた。それは孫の私から見ても明らかだった。祖父を戦争で亡くし、女手一つで父を育てあげたからなのかもしれない。たまに私たちの家にやってくると、夕方からそわそわと窓辺に立ち、ずっと父の帰りを待っているのである。帰ってくれば父の周りから離れず、食事の間中横にいてあれこれと世話を焼く。なかなかに異様な光景だった。
そんなわけで、母は身の回りの世話をしてくれる人もなく病院に入院していたわけなのだが、10月に入って少しすると、祖母が見舞いにやってきた。当時はそこまでたどりつくのに一日がかりだったから、あらかじめ予定された訪問だった。生まれたばかりの孫に会うつもりだったのだ。
それでも、祖母はまだ私が生まれていないことにあまり落胆していなかったらしい。「きっとこの子は10月10日に生まれるよ」とにこにこして待っていた。10月10日というのは、父の誕生日なのである。が、10月10日も何事もなく過ぎてしまう。さすがに祖母はがっかりしてしまった。もうこれ以上待っていられないからと、他の観光地へと移動していった。父をお供に従えて。
二日後、ようやく私は生まれた。でも、病院の人が父に連絡をとろうとしてくれても、居場所が分からない。祖母についてまわっていたからだ。「あんな恥ずかしいことはなかった」と母は後で憤慨していたが、そういう問題ではない気がする。
10月12日。それは父の誕生日ではなく、母の誕生日だった。もしかしたら、と思う。それは母の意地だったのかもしれない。
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前回の記事のコメントにもちらっと書いたのですが、ちょっと落ち込む出来事がありまして、まだ気持ちをひきずっております。こんなときに何かを書いても、きっと愚痴になるか、いつもとは違う筆致になるのではないかと思います。
もし、楽しみに読んでくださる方がいらっしゃるのならば申し訳ないのですが、しばらく筆をおきたいと思います。元気になりましたら戻ってまいります。
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朝、登校していく娘を見て、通りでバットを振っていた近所のおじいさんが私に尋ねた。「一体何年生になったのかな?」「もう4年生になりました」「ほう、もうそんなになったのか」そして、感慨深そうに言う。「小学校に上がる前のこーんなちっちゃな時は、うちの庭によく遊びに来てくれたもんだがなあ」私は返事に困って微笑み返す。我が家が越してきたのはほんの一年ほど前のことで、娘がお庭にお邪魔していたのだって半年前のことだ。もしかして、他の誰かと間違っているのかもしれない。
こういうことが一度や二度ではないし、少しはらはらすることがないではない。それでも、おじいさんは立派に一人暮らしをされていて、さびしそうな様子もない。すれ違う人に皆声をかけ、庭木の手入れをし、道路を掃除して、時折外食にもでかけるのだった。
おじいさんの話によれば、それはおじいさんが「海軍にいたから」なのだそうだ。私は軍隊に詳しくはないが、規律ある生活だったことくらいは想像がつく。特に海軍では船上で長く集団生活を行うため、整理整頓から料理まで一通りこなさなければならないらしい。おじいさんはそこで様々なことを「学ばせてもらった」のだという。おかげで、一人暮らしをしても何も困らないのだそうだ。
そういえば、私の祖父もおじいさんとは同じ年代だが、職業軍人でシベリアの抑留を経験している。そのためなのかどうなのか、料理以外のことは全部自分で出来た。洋服選びも人には任せなかったし、祖母の代わりに家中の掃除をいつもしていた。
それより若い世代の父のほうが、よっぽど生活力がない。出張の準備を全て母にまかせっきりにし、「替えの下着がどこに入っているか分からなかった」とむくれた顔で帰ってきて、「じゃあ、どうしたの?」と聞けば「だから、着替えなかった!」と答える始末だ。料理や掃除、洗濯なんてものは、やってみようという気持ちもないらしい。母には「お願いだから、お父さんを置いていかないでね」と念押ししたくなる。だって、こんな父にしたのは母でもあるのだから。最後まで責任を取ってもらわないと。
男の人は、よく、女房に先立たれるととたんにがっくりとして後を追うことになると聞く。それは、精神的に依存していることも大きいかもしれないが、物理的に「生活に困ってしまう」からもあるんじゃないだろうか。自分で出来なければ人に頼まなくてはいけない。それは自分を「無力だ」という気にさせる。鬱屈とした気分にもなるだろう。
生活を楽しむということは、生活力があるということの上に成り立つのかなと、おじいさんの様子を見ていると思う。奥さんに全てを任せて何もかもやってもらっていると、気分は王様かもしれないが実は大事なものを失っている可能性もある。
いや、待てよ。それは、もしかすると世の奥様方の陰謀ということはないか。夫から生活力を奪い、自分なしでは夫が生きられなくするための。「いいのよ、あなたはなーんにもしなくても。男の人は座っていてくれさえしたら」そう奥様がにっこりとささやいたとしても、男性の皆さん、長生きをしたかったら鵜呑みにしないほうがいいかもしれない。
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私には三回入院した経験がある。そのうちの一つは娘の出産だったわけだけれど、「そうか、お産は病気じゃないって本当だな」としみじみ思った。それまでの入院とは全てが違っていた。病室には華やいだ空気が漂う。そして、「おめでとう」の言葉が飛び交う。誰もが笑顔だった。
だから、なのだろうか。最近では病院然としていない産婦人科も多いのだそうだ。ホテルと見まごうばかりのきれいな個室ばかりでなく、エステなんかもしてもらえるらしい。その後の怒涛の子育て生活を思えば、少しぐらい羽をのばしたいというのも分かるし、うらやましいなあと思う。でも、出産した日にお祝いでフランス料理のコースが供されると聞くと、正直、「うーむ、そこまでやるか」という気がしてしまう。
確かに病院の食事と言うのはあまりイメージが良くない。今はもうそんなことがなくなったが、一昔前の病院の夕飯は4時に食べさせられたりしたものだ。それでもおいしいならまだ許せるが、そうでないことの方が多い。入院していれば三度の食事ぐらいしか楽しみがないのに、冷めかけたスープをすすらされると悲しくなってしまう。「あー、早く元気になって、おいしいものが食べたいよう」と、せっせと回復に努めていたのだから、まあ、悪いことばかりではなかったのかもしれない。
ただ、一箇所、とてもおいしいお食事を出してくれる病院があった。見舞いに訪れた母が、私がぱくぱくと食べている様子を見るたび「私も食べたいなあ」と言っていた。メニューはなんの変哲もないものだ。特に高価な食材を使っていたわけではない。むしろ、肉じゃがの肉をひき肉にするなど、少しでも安いものを使って、それでいて味は落とさないよう工夫されていた。栄養士さんが自ら私たちに料理を配ってくれるのも、私たち患者の顔を見て料理を作りたかったからだろう。
私が子供の頃、「愛をひとつまみ」という題のドラマを見たことがある。主人公の料理の先生の「お料理には、最後に愛をひとつまみ入れましょう」というセリフだけ、妙に心に残っている。多分、あの病院のお食事にはその「愛」があったのだ。
フランス料理でセレブ気分も悪くないけれど、「愛」ある家庭料理はもっといいと、私なら思う。娘だって「お母さんの手料理が一番!」と言ってくれているではないか。まあ、私の場合、その「愛」だけに頼って誤魔化している部分が多いような気がしないでもなく、腕のほうも磨かなくちゃなあと、改めて思うのだが。
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以前、失業手当をもらいにハローワークに行った友人が言っていた。「なんらかの収入を得ている場合、不正受給になるので気をつけてください」と説明されたのだそうだ。「家業の手伝いだろうとなんだろうと、すぐこちらに分かりますからね」と念押ししていたと言う。どうもご近所などから密告があるという意味らしい。何だか前時代的だなあと思ったのを覚えている。
でも、これは「不正をただす」ためには絶大な効果のあるものらしい。生活保護を受けている人に対しても、職員が逐一その行動を把握できるわけではない。代わりにご近所の目がその生活を監視しているのだ。「ちょこちょこ旅行にでかけている」「車を購入している」そういった報告で不正受給を見つけることができるというわけだ。
長者番付(高額納税者)だって、あれは別にみんなで「いいなあ」とうらやましがるものではない。「あそこのうちは高額の遺産相続したはずなのに出ていないぞ?」なんていう、情報をもらうためなんだそうだ。
先日、敬老の日のお祝いということで、長寿の皆さんの名前が発表された。でも、19位の110歳の女性が実は40年以上も行方不明だということが分かった(記事こちら)。新聞ではきちんと所在確認をしていなかった区職員を問題視していたが、頭の中は「?」でいっぱいである。家族が捜索願も出さず、ましてや戸籍抹消の手続きもとらなかった理由は、年金がらみなのかそれとももっと深刻なことなのか知る由もない。ただ、「個人情報保護」のために「匿名」などにしなければ、「え? あそこのおばあちゃん、もうずいぶん前から見てないわよ」とご近所から言われる可能性が高くなるのは確かだ。
個人情報保護法は一体誰のための法律なんだろう。一見するとプライバシーの保護のように見えるのだけど、実はこういう相互監視をされたくない人にとって都合のよいものになりやすい。先日も省庁が幹部職員の学歴や生年月日などを非公表にすると言い出し、一部で論議があった。もともと公表してきたのは、「学閥がないか?」とか「キャリアとノンキャリアで差別がないか?」を監視するためのものだったのだけれど。
互いが監視しあう環境なんて窮屈だし、お互いを信じあえないなんて悲しい話だと思う。でも、人は他人の目がなければ悪いことをしてしまう生き物なのかもしれない。そして、他人の目が存在するからこそ、虐待など、防げる犯罪もあるのだ。
人に自分の情報が知られるのは嫌だと思いつつ、法律を隠れ蓑にこそこそ悪いことをしたりごまかしたりされるのはも、やっぱり嫌だと思うのだった。
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身近でも、ブログ上でも、愛知万博に出かけた話はちらほらと聞く。それらを聞いたり読ませて頂いたりしながら、「うーむ、やっぱり私には無理だなあ」と思ってしまう。
私は行列に並んで待つということが苦手だ。根性と根気がないということが大きいが、ついつい考えてしまうのだ。「果たしてこの列の先にあるものは、**分待ってまで見たり手にしたりする価値のあるものなのか?!」と。だから、無理して並んだ時には、「ここまで待ったんだからね!!」とちょっとやそっとのことじゃ満足できなくなっているのだった。
でも世の中には、「並ぶのが好きなんじゃないか」という人も結構いるような気がする。実際、前にニュースか何かでやっていたが、デパート地下の食品売り場ではわざと行列を作るのだそうだ。レジの数を減らして効率を悪くし、目立つところに行列を配置する。それを目にしたお客さんは「皆がこうして並ぶくらいだから人気があるのね」と判断し、自分も列に加わるのだという。
愛知万博もこれと同じ面があるのだろうか。そこまで計算されていなくても、愛知万博が予想を上回る入場者数だとは耳にしない。それでもあちらこちらに長い行列が出来ていることを考えれば、長い行列は織り込み済みで、むしろ、行列が出来るくらいでなければ運営上失敗なのだろう。
それにしても、皆すごいと思う。万博に限ったことではない。この春に横浜へ遊びに行ったのだが、出来たばかりのポケモンセンターの行列なんてすごかった。人の列がぐるぐるとビル内でとぐろをまいていて、待ち時間が50分どころか5時間なのだ。それだけあれば、どれだけ遊べるだろう。いくらセンター限定グッズが手に入るからと言っても、なんだってそんなにじっと待っていられるのか、私にはちっとも分からなかった。
よく言われることだけれど、日本人はそうやって辛抱強く待つ人が多いのだそうだ。オランダのスキポール空港はよくヨーロッパ内の中継地として使われるので様々な国の人が利用するが、見ているとお国柄があって面白い。確かに、日本行きの飛行機を待つ日本人は列を作って乗り込んでいく(最近、ちょっと怪しくなってきている)。その点、イタリアやスペインへ向かう人々は、列なんてお構いなし。みんな陽気に大声でおしゃべりしながら無秩序に搭乗する。でも、殺伐とした感じがないのは、他の人が先に乗り込んでも気にしない大らかさがあるからかもしれない。でも、中国人。無秩序なのはラテンの人々と同じなのだが、肝心の大らかさがあまり見えない。
中国旅行から帰った我が母が言っていたのは「あそこは矛盾と混沌の国だねえ」ということだった。交通渋滞がひどいこともあるが、あまりの無秩序ぶりに、旅行ガイドさんが急遽バスを降りて交通整理をしたそうだ。奇しくもそれから数週間後に初めて中国に渡ったブラジル人の友人が「CAOS」と表現していたのは、きっと偶然ではないのだろう。
数日前にオープンした香港ディズニーランドもまた、あちこちのアトラクションに行列が出来ているらしい。行列嫌いと聞く中国では果たしてどんなことになっているんだろう。私も行列嫌いではあるけれど、華々しいニュースを見ながらそんなことを考えていたのだった。
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秋の夜風と虫の音が心地よいので、ちょこっと小ネタを。
先日、夫がいつもよりも遅く帰ってきた。真っ赤な顔にお酒の匂い。夫はお酒に弱いから飲んできたのがすぐに分かる。
私は鼻をならす。ふむふむ。
「お酒に混じってかすかににんにくの匂いがする・・」
「あ? うん。アサリの酒蒸し食べた・・」
また、私は鼻をならす。ふむふむ。
「変だね。タバコの臭いがしない。いつもならタクシーで付いてくるのに」
夫自身はタバコを吸わないのだ。
「あ? うん。業者の人が車で送ってくれた」
さらに、私は鼻をならす。ふむふむ。
「女の匂いは・・・」
「えっ? えっ?」
「・・しないね。残念ながら」
かくして、私の嗅覚を前に夫は嘘をつけないのである。
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週末は選挙特番をながめていた。「劇場型」とか言われる演出でいつもより多くの人々を投票所に向かわせ、「歴史的」などといわれる結果になった。それでも、テレビには毎度お馴染みの映像が流れていた。赤い花をボードに貼ってにっこり微笑む姿。そして、「万歳、万歳、万歳!」と、花束を持った人とそれを取り囲む人々の万歳三唱。
勝負師というものは「縁起を担ぐ」ものらしい。ジンクスを信じ、下着の色や、歩き始めるのは右足か左足かなんてことまで決めているスポーツ選手の話も聞く。勝負の行方が実力だけでなく運やタイミングにも左右されるからこそ、そういった形のないものの力を借りようとするのだろう。選挙のときの色々な決まりごとが綿々と受け継がれていくのも、選挙が勝負事の一つだとしたら納得できなくもない。もっとも、勝負は選挙だけでなく、その仕事の上でこそして欲しいものだが。
それにしても、あの「万歳三唱」。あれを見ていると恥ずかしくて正視していられなくなるのは私だけなんだろうか。大の大人が両手を挙げた姿というのはなんともまぬけに見える。だってあれは「降参」のポーズだ。でなければ「抵抗いたしません」である。なんだって、あんな格好を、それも皆でそろって、するのだろう。
そこで、少し調べてみた。もともと「万歳」というのは中国から入った「万歳(ばんぜい)」が起源であるらしい。めでたいことを祝う言葉として使われていたのだそうだ。それが明治時代、憲法発布の際に天皇への祝意の表現として「万歳(ばんざい)」が考えられたのだという。思ったよりも歴史は浅い。それでも、あの大戦中にこの言葉は呪文のように用いられ、浸透した。
私の子供の頃は、駅のホームなんかでも見かけることがよくあった。これからまさに新婚旅行にでかけるという二人を見送って、「**くんと、**さん、バンザーイ」と友人たちが叫んでいたのだ。そんな時、送られる側の二人は大抵とても恥ずかしそうな顔をしていて、子供心に「気の毒だなあ」と思っていた。友人たちはその二人の困った顔見たさに万歳しているようにしか見えなかったからだ。実際はどうだったんだろうか。
長じて、私も会社勤めの中で祝賀会に出席したり、同窓会に出たりして、万歳三唱する場面に出くわした。でも、手を挙げるのが恥ずかしくて仕方なかった。それに、正直に言うとどうやるのが正しのか分からない。手はそのまま上に向かってあげるのか。前につきだしてから挙げるのか。また、手のひらは前に向けるのか、内側に向けるのか。自信がないからそっと小さく挙げるはめになる。余計に恥ずかしい状態になるわけだ。
テレビの画面で、当選した議員たちは皆誇らしげに万歳を唱えていた。その姿を見ながら、この万歳の意味は「めでたい」なのか、後援者の新議員への服従心なのか、どちらなんだろうかと思っていた。そして、今でもやっぱりあれが気恥ずかしくて仕方ない私は、万歳三唱をしなければいけないぐらいならどんなに請われても決して議員になどなりたくないなあと思う。
もちろん、その心配は未来永劫なさそうではあるが。残念ながら。いや、幸運なことに?
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前にも書いたが、私はメガネをかけた男性が好みである。それがいつの頃からだったのか、何がきっかけだったのかは覚えていないが、そこから知性が香ってくる気がして仕方ない。だから、本当のことを言えば、華奢なめがねをかけたヨン様は私のタイプなんである。
とはいうものの、ひねくれ者なのも私の特徴だ。ヨン様が日本の誰にも知られていず、どこかの町の片隅で見かけたなら「あら、ステキ」と思うかもしれないが、きゃーきゃーと言う黄色い(いや、オレンジ色ぐらいにくすんでいるか?)声の向こうじゃちっとも素敵に見えやしない。「ふん」と思うだけだ。
そんな私の母があの「冬のソナタ」に夢中だった。私は見ていないけれど、もどかしい純愛物語が往年の日本のドラマを髣髴とさせ、「甦る青春」という気分になってしまったらしい。さすがに追っかけをすることはなかったが、テレビ画面のヨン様を見つめる目は完全にハートマークだった。
が、我が母。ヨン様の前はキムタクのファンだった。主演のドラマはしっかりとみていたし、その時間に間違って私が電話をかけようものなら、「後にして!」と切られたりした。ツーツーという音を呆然としながら聞き、我が母親ながら「ミーハーだなあ」とちょっと呆れていた。
それがヨン様へと鞍替えだ。でも、「なんでー?」とはあまり思わなかった。母に「ねえ、もしかして、キムタクのおばさまファンて、ヨン様ファンにそのまま移行してる人が多くない?」と尋ねると、母はきっぱりと言った。「そりゃそうでしょ」
二人の共通項は「優しい」「甘い」雰囲気だと思う。そして、母の世代の男性に、それらを持ち合わせている人はあまりいない。ドラマのヒットは「昔懐かしさ」かもしれないけれど、ヨン様にあこがれるのは「こんな人がそばに居ればよかったのに」というため息からなのかもしれない。
父はそんな母を、「けっ」という顔で見ていたが、父にも少しは考えてもらいたい。混んでいる電車の中、さっと義母の荷物を持ってあげている義父はともかく、父ときたら母に荷物を持たせた上に自分だけさっさと席を見つけて座ってしまうのだ。そういうところぐらい、母に気遣ったっていいと思う。それでも、それさえ父にとってはこっぱずかしいことなんだろうか。あのヨン様フィーバー(死語?)は、そんな男と女の思いのすれ違いとも言える。
ところで、先日「まだヨン様のファンなの?」と聞いたら母は「まさか」と首をぶんぶん振っていた。「だってテレビ出過ぎ。にやけ過ぎてるし」と手厳しい。おば様は乙女心と同様、移ろいやすいようだ。でも、ふと思う。もしかすると、母はもう「優しげ」で「甘い」別な人を見つけたのかもしれない。それは、もちろん、父ではないだろう・・。
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ドラマや小説は、ハッピーしろ、そうでないにしろ、何らかの結末が用意されている。そうでなければ何かを暗示、あるいは読者に問いかけて終わる。が、現実の世界ではその後も変わらず日常が流れていく。そして、誰にもその行方は分らない。
二晩続けて放送された「積み木崩し 真相」は、かつて驚異的な視聴率をあげたドラマのリメイクではなく、その後この家庭に起こった出来事が中心に描かれていた。私はこの主人公の女性とも、その役をかつて演じた女優(この人にもドラマ以上に色んなことが起こった)とも同年代だったこともあり、過去のドラマ、その後の報道のすべてを思い起こしながら見ることになった。
あのドラマが人気だった頃、確かにああいう不思議な格好をした不良たちが存在したし、同じ学校にもいないわけじゃなかった。彼らはいつも不機嫌そうにするどい目で周りを見ていたが、私は全然彼らに共感を抱いたりしなかった。同じように大人たちに反発し、不満を抱えながら、表現方法があきらかに違っていたから。「人を見かけで判断するんじゃねえよ」と言いながら、もっとも気にしてこだわっているのは彼らだった。
ただ、主人公の少女には同情していた。今でも覚えてるのだけれど、私が買っていたある中学生向け雑誌(硬派と言っていい)に彼女へのインタービューが載っていたことがある。ショートカットの似顔絵が添えられた記事で彼女は「今もタバコは吸うけどシンナーはやめた。自分ではもうぐれていないと思っている」と語っていた。
痛々しかった。こうやってマスコミに出ている時点で、周囲がいかに騒がしいかが分る。その結果が、報道の通りだ。
私はこのドラマを思い出すとき、決まってある小説を思い浮かべる。直木賞を受賞した三好京三氏の「子育てごっこ」だ。これは山村の分校で教鞭をとっていた氏の私小説で、画家が連れて現れた奔放な女の子を夫婦で育てていく話である。これも映画化、ドラマ化された。が、数年後、その女の子が告発する。「私は金儲けの道具にされた被害者だ」と。後に和解したらしいが、自分のプライベートな部分を公表され、虚像が一人歩きしていくことがどれだけ子供を傷つけるか、よく分かる。
それでも、その親は理想的だと持ち上げられ、褒め称えられたりする。子供の気持ちを置いたまま。子育ての仕方に正解はないのに。何を成功と呼ぶのかも本当には誰もわからないのに。私たちは一体、彼らに何を語らせたかったのだろう。感動という自己満足を得たかっただけじゃなかったのか。
この家庭が崩壊した理由が、自身の問題だけでなかったかもしれないと思うのは、私だけだろうか。
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昨日、駒大苫小牧の優勝に寄せて記事を書いたというのに、その偉業に水をさすような出来事が報道されてしまった。なんともやりきれない話だ。テレビでの報道を見ながら、私は自分の中学で起きた出来事を思い出していた。
事件は夏休み中に起こった。その男の子たちのグループは不良といわれるほど悪くもなかったが、だからといって品行方正でもない。悪ふざけが過ぎることも多かった。その彼らが、予め決められていた休憩時間にプールからあがらなかった。
プール開放には教員が監視としてついていたが、その日担当していたのは体の小さい、女の先生だった。その先生が何度もあがるように注意するが、彼らは言うことをきかない。逆に先生をからかう始末。怒った先生は、コワモテの体育教師を呼びに走った。
確かに、日ごろからその体育のK先生は叱るときに手が出ることが多かった。決め付けたものの言い方をするので、私もあまり好きではなかった。でも、実際にその場に居合わせた友人たちによれば、「あれは仕方がなかった」ように見えたという。ただ、殴りかたが悪かった。連中の一人の差し歯が折れた。
公になったのはずいぶん後のことだ。父兄が抗議し、内々に処理していたらしい。それが発覚した。学校長が無事に何位だかの勲章をもらった後、というタイミングだった。
「校長と二人で全部の家を訪ねて謝ったらしい」「やっぱり、校長は勲章が欲しかったから隠したんだろう」「いや、そういう事情を知っていたからこそ、文句を言ったんじゃないのか?」「半ばゆすりみたいなもので、親は口封じにお金を受け取ってるらしい」様々な憶測が流れた。しまいには、そのグループの中から「あれは**の親が『金が取れる』って言ったから。うちはこんなことしたくなかったのに」と言う人も現れたという。
いずれにしろ、翌春、体育の先生は別な学校に転勤になり、校長は定年退職で学校を去った。そして、事実が私たちに伝えられることはなかった。本当のことは何も分らない。
大人たちを巻き込んで、いや、むしろ大人たちの間で、色々なことが起こっていた。それでも、私たち生徒は事実かどうかも分らないうわさだけを耳にし、むしろ冷めた目で大人たちを見ていた。
今回の駒大苫小牧の事件も、私たちに本当のことはよく分らない。それでも、高野連はなんらかの処分を下すのだろう。それが優勝旗の返還ということもありえるのだろうか。そしてその理由は「高校野球は教育の一環」だからなのだろうか。その処分から一体野球部員たちは何を学べるというのだろうと、暗い気持ちになるのだった。
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美容院で「STORY」とかいう雑誌が目に入った。40代女性向けの雑誌らしい。「40歳になってよかった! 今の私が一番キレイ」という文字が躍っている。「よかった!」といえるほど私が達観できるとは思えなかったが、一体何が「よかった!」んだろうと、思わず手に取りぱらぱらとめくってみた。
その雑誌によると、40歳は二度目の成人式なんだそうだ。子育てもひと段落して自分の時間が出来る。心に余裕も持てて、新しいことにチャレンジできるわよ! ということらしい。
流行はどこまで取り入れたらいいのかとか、これを機会にメイクはどう変えたらいいのかとか、実用的なアドバイスもてんこもりで、「さあ、変わりましょう」と勧めている。要するに「もっと自分にお金をかけましょうね」ということだろう。そういうところは、もっと若い世代向けのファッション雑誌とあまり変わらない。
私はあまり読んでいなかったのでよく分からないが、以前「JJ」なんかに出ていたモデルがそのまま読者とともに年齢を重ねて登場しているようだ。そのことがより親近感をもたせ、「彼女たちみたいに美しさを維持したい」という気持ちをかりたてるのだろう。それは、自分磨きのために財布の紐を緩める年代が、上のほうへとどんどん広がっていくことを意味する。
一方、ローティーン向けの服飾事業もすごい。もともと業界が「まだ開拓されていない年代はないか」ときょきょろ見回したときに、「おおっ、ここがあったか!」と気づいた空白地帯だったらしい。それが、今やドル箱だ。Tシャツだけでン千円するような高価なブランドのものがばんばん売れる(らしい)。うちの娘(9歳)たちも「好きなブランドはどれ?」なんて会話をしているようだから、業界にとっては将来が楽しみで仕方ないと思う。
あーあ、こうして、私たちは「お金稼ぎ」をしている人たちの手のひらの上で踊らされてしまうのだ。「うんにゃ、これこれこういうのがこれまでの私の人生で得られたスタイルなんです」と胸をはれたのなら格好いいのだけれど、別に真摯に考えてきたわけじゃないだけにまったく自信がないのが悔しい。
それならせめて自分の得意分野ぐらいは、いい加減「私はこう考える!」とはっきりいいきれるようになりたいものだと思う。それこそ、「二度目の成人式」というものだろう。・・で、自分の得意分野って・・?
そう考え込んで、やっぱり落ち込む情けない私である。
追記 この雑誌に関連してこんな記事を見つけたので、思い切ってTB。
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2週間ほど前、知り合いからカブトムシをもらった。オスが2匹とメスが1匹。今はきゅうりやらスイカの代わりに「昆虫ゼリー」とかいうちっちゃなカップに入ったえさをやるものらしく、昆虫飼育も様変わりしていた。
ケースの中のカブトムシを見ていると、オスは本当によくけんかしている。角でつつき合い、ひっかけてひっくり返そうとする。その姿を見ていたら、「オスが戦うのは本能なのかなあ」と思ってしまった。
私が学生の頃はバブルの最中で、今の若い人が聞いたら腹を立てるぐらい就職が楽だったと思う。それは私が理系だったこともあるだろうが、企業はとにかく採用の数を確保しようとしていたし、イメージをアップさせるという理由だけで女子の採用に躍起になっていた。そのひとつがM社で、私を誘いにやってきた大学の先輩は誘いに来ながら自分でもとまどっていた。
もちろん、それはとても有難いこと。それでも、自分の専門分野をM社で生かそうとするならば、軍事関係の部署になるのはあきらかだった。他にも理由があり、結局お断りすることになるのだが、それを聞いた同級生の一人には「もったいないことするなあ。女ってどうしてそうやって子宮で考えちゃうんだろうなあ」と言った。
軍事関係となれば当然公共事業になる。つまり、利益が確実にあるということだ。そんな将来が安定した仕事を放り出すなんて馬鹿だというのが、彼の言い分だった。
戦いを嫌うのは女の本能なのだという説を呼んだことがある。女は子供を生み育てるのが仕事だから平和を願うのだと。いや、そうは言ってもやたらと闘争的な女性はいるものだし、平和主義の男性だって沢山居る。一概には言えないと思う。私が女らしいということになるのかどうかはわからないが、たとえ「だから女は馬鹿だ」といわれても、そのときの私は人を殺すのが目的の仕事に加担するのは生理的に嫌だった。
カブトムシは、ケースの中にいくつものゼリーを置いても戦いをやめない。人間なら、その戦いを避けるだけの知恵があるはずだと思うのだけれど、それを口にすると、最近は特に理想論だといわれてしまう。
理想を語ってしまうのは罪なんだろうか。現実はそんなに悲しいんだろうか。
今、若い人に戦争の話をすると「えっ? 日本て戦争してたの? えー? アメリカとー? すごいじゃん」なんて答える人もいるらしい。そんな話を聞くにつけ、理想論を考えてしまう、8月15日なのだった。
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娘がまだもっと小さかった頃、頼りはやっぱり「育児書」だった。「子育ては育児書どおりになんてならない」と言われてはいたけれど、経験者があまりそばに居ない以上、参考になるものが欲しかった。
育児書には子供に「早く」と言ってはいけない」と書かれてあった。「早く」とせかすことで、子供の心を殺してしまうと。そんなことは分かっている。せかさないですむように、十分時間の余裕をもって準備すればいいのだ。そしてじっくり待つ。分かってはいてもその通りにはなかなかできない。特に我が娘は超のつくマイペース人間だからどうしても口を出したくなり、その後理想と現実の違いに落ち込むことになる。
でも、だ。幼稚園、学校と上がっていくと、「なんだ、やっぱり早くしなくちゃいけないんじゃないか」と思う場面が多いのだ。学校というのは勉強だけではなくて集団生活を学ぶ場で、集団生活とはつまり他人と合わせること。決められたことをてきぱきと、人に遅れずついていかなくてはいけない。うちの娘にはなかなかに骨の折れることだ。
そんな娘だから、fumi_oさんのところのこの記事は人事ではない。給食を時間内に食べ終わらなかった子供たちに、あまりにもひどい仕打ちをする先生。確かに、この行動は先生としての資質を疑うものだけれど、私はこれが学校に内在する問題の一面なのかもしれないと思う。
実は数ヶ月前、娘がクラスの何人かにいじわるをされていた時期があった。やっていることはたいしたことではないし、クラスみんなからいじめを受けていたわけではない。でも、それが芽になってしまうのは嫌なので、先生に事実をありのままお話した。
先生の対応は早かった。他にも何人か標的にされていた子がいたこともあるが、「自分がされて嫌なことを人にしていないか」と問い、皆で考え、それぞれが答えを出した。結果、娘と友人たちは基本的にもとの関係に戻ったし、他の子供たちも解決したようだ。
ただ、先生は後でやんわりと私に言った。「皆ができることをできないと、周りの子供はそれを許せないんですね」私は、その先生との面談の度に毎回毎回「着替え、給食など、皆から遅れることが多いので心配です」と言われることに思い至った。そして、今回の出来事の原因はもしかしたらそこにあるのかもしれないと、親ばかながら感じた。
先生はとても熱心な方だし、授業も工夫してくれている。子供たちは皆先生を慕っている。でも、せっかちなところもある。「心配です」は時に「困る」になっているのは表情から分かる。そういう気持ちが子供たちに伝わってしまうのかもしれない。それは、先生の問題というよりも、「時間内にすべてを終わらせなければいけない」という、学校全体の雰囲気に大本の原因があるような気がする。
娘には集団生活についていけるようがんばって欲しいという気持ちと、そうは言ってもそれが個性なのだから「治すのではなく自ら変わっていく」ように周りは見守って欲しいという気持ちとの間で、私もいつも揺れている。日本の教育は圧倒的に前者だ。日本人である限り、娘はそういうやり方についていかなくてはいけないということなのだと思う。
今夕も、また娘はいつまでも食べ終わらなかった。そんな娘を見ながら、色んな気持ちをこめたため息をつく私である。
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祖母の実家は片田舎の田んぼの中に建っている。今でこそ兼業の農家も増えていているが、ちょっと前までは田畑ばかりで、ぽつんぽつんと建っている家の他は遠くに山々が見えているだけだった。その山から吹き降ろした風は遮るものがないせいで強く、その風から家を守るため、どの家も防風林を植えていた。
祖母の実家も例外ではない。根が張って強いといわれる竹が家の北側を覆っていた。子供の頃訪れた私はたけのこ取りをさせてもらったりしたが、その竹林に足を踏み入れるのはうれしくなかった。たけのこの時期は農繁期のため取らずに放置されてうっそうとした様子になっていたし、ところどころに土が盛ってあるのが不気味だった。親戚の子供がこしらえているというその山は、蛇のお墓だった。
竹林には結構な数の蛇が住んでいた。あの姿、形。知人に「吼えないから静かだし、舌で愛情表現するから可愛いわよー」と言っている人がいたが、例外だろう。ほとんどの人はあまり好きではないと思う。蛇がそこここにいると思うだけで、竹林に入る気は失せるのだった。
が、祖母が若い頃、一時、その蛇が異常に繁殖したことがあったのだという。蛇は竹林だけではなく、そこかしこに現れた。時に、屋敷の中までも。特にある部屋に集中していた。
それと前後して、祖母の姉が何故か口がきけなくなった。いわゆる失語症だろうが、病院で見てもらっても原因がわからない。家族は途方にくれた。
そこで霊能者に診てもらおうという話になるところが、60年以上も前だからだろう。村で評判の霊能者のみたてはこうだった。
「若くして亡くなった先祖の女性が、寂しさから蛇になって現れています。だから、自分が大好きだったおばあさんの部屋に来るのです。供養のため、蛇を描いた絵を川に流してあげなさい」」
祖母たちには思い当たる女性がいた。早速、言われた通りに供養をした。
それから程なく、蛇が屋敷に上がることは無くなった。そして、やはり祖母の姉の失語症も治った。祖母の姉が初めて言葉を発した日、彼女は天井の一角を指差して言ったのだそうだ。「あ、蛇」と。
私が子供の頃、母に聞いた話しである。
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このところ更新が思いっきり気まぐれになっていますが・・
Kakoはしばらく旅に出ます。
探さないで下さい。
・・というのは冗談ですが、旅に出るのは本当です。
今日から1週間ほど更新、コメントへの返信はお休みいたしますのでご了承下さい。
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ある夜、夫が浮かない顔をして帰宅した。「どうかした?」と問うた私に、夫は「うーん、困った」と言う。夫は本業の他に副業も持っている。そちらはとあるマンションの一室にあって、本業を終えた後、時々寄る形になっている。そのマンションの入り口で、本業の方の他部署に所属している女性にばったり出くわしたのだという。彼女はそこに住んでいるらしい。
夫の職場は「副業を持ってはいけない」という就業規則があるわけではない。別に困ることなんかないじゃないかと思ったら、「だってさ、夜、住んでいないはずのマンションに出入りしてるんだよ? 絶対疑われるよ」顔を合わせた彼女は、心なしか意味ありげに微笑んだのだそうだ。
そーか、浮気か! 確かにマイホームパパで通っている夫が、愛人のマンションに通っていたら大スクープだ。私はかっかっかっと笑い、「いーじゃん、いーじゃん。堅物のイメージ脱却! 良い機会だよー」と夫に言ってあげた。
実は私、「浮気は男の甲斐性」だと思っている。
・・というと語弊があるかもしれない。正しくは「浮気なんてものは、甲斐性のある男性のやるもんだ」と思うのだ。
不倫は何故いけないか。それは多分、パートナーの信頼を裏切ることになるからだと思う。子育てだの家事だの日常のわずらわしいことに追われている妻にしてみれば、その一方で夫が愛だ恋だと浮かれていたらかなり腹が立つ。もちろん、自分や子供達にだけ向けられるべき愛情が他へ注がれるのも許せない。ましてや、ある日、見知らぬ女性から「お願い。ご主人と別れて」なんて電話がかかってきたら泥沼である。どうせやるなら、うまくやってちょうだい、と言いたくなる(と思う)。
妻にも愛人にも不満を抱かせないだけの生活をさせ、深い愛情をどちらにも注ぎ、心遣いを忘れず・・というのには、かなりのお金や力量が必要だ。そして、それをやりこなせる自信のある男性のみが、浮気する資格を持っていると思う。
もっとも、人の気持ちは変わっていく。ある時納得ずくの恋だったとしても、それがいつまでも続くとは限らない。そのリスクを背負うだけの覚悟も持っておいて欲しい。それでこそ、「浮気も甲斐性」というものじゃないか。
まあ、実際にはそんな甲斐性もない輩がこそこそと浮気したりしているのを、よく耳にする。「どうやって奥さんをごまかしているのかねえ」と夫婦で話題にしつつ、やっぱり、こういうことは理性でどうこうする問題ではないのかなと思ったりもする。理性的になれるくらいだったら、面倒なことに首を突っ込んだりしないのかもしれない。
夫はこれからそのマンションに出入りするとき、辺りを見回しながら挙動不審になるのだろうか。妻ではない女性に浮気を疑われて動揺している夫をちょっと情けないと思いつつ、それでもやっぱり、どこかでほっとしてもいる私なのだった。(これが単なるアリバイ工作で、実は・・ということだったら、ちょっと恐ろしいが)
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私はあまりテレビを見る方じゃない。それでも寝る前のちょっとした時間、チャンネルをザッピングして眺めたりはする。深夜の番組というのは多分スポンサーの意向というのも強くはなくて、実験的な番組だったり、あるいは作り手の遊び心がそのまま反映されていて面白いと思う。その日も何気なくテレビをつけて番組を目にし、夫と二人でつい見入ってしまったのだが、平日はやっぱり翌朝のことが気になる。泣く泣く切り上げてベッドに入る羽目になったが、この番組を収録した物がDVD化されていた。
スタジオライブなのだけれど、歌われているのは小田さんの持ち歌ばかりではない。彼自身が子供の頃に聞いて心に残っている唱歌や、影響を受けた曲、学生時代にコピーした洋楽など。彼独特のハイトーンボイスで歌い上げられる「朧月夜」や「春夏秋冬」、それに「Moon River」は、なかなか贅沢だった。でも、それらを楽しむことが出来たのは、ただ「いつもなら聞けない歌」を聞けたということではなく、ある一人のミュージシャンの音楽歴史みたいなものを垣間見ることが出来たからだろう。
どんなに個性的と呼ばれるミュージシャンでも、始めから独自の世界を持っていた人はいない。必ず他の音楽に育てられている。感受性に違いはあったとしても、そういう点では私たちとそんなに変わらないと思う。
ついこの間までブログ界では「musical baton」が大流行だった。今更説明の必要などないだろうが、5つの設問のうちの一つには「よく聞く、または特別な思い入れのある曲」というのがあって、沢山のブロガーさんがこれに答えている。多分、「そんなものない」という方はいらっしゃらなくて、「5曲になんて絞りきれない」という人がほとんどだったと思う。だからこその盛り上がりだったんじゃないだろうか。
誰にでも人生の中にいくつもの音楽がある。音楽を生業にし、それらの歌を人に聞かせて楽しんでもらえる人はうらやましい。でも、そう出来なくても、私たちは大切な沢山の歌を心にしまっている。恋に落ちたとき、恋に破れたとき、まるで自分がドラマの主人公のように、頭の中でBGMが流れていたのは私だけだろうか。あるいは純粋にその歌に恋したとき、忘れられない出来事に出くわしたとき、それら、人生の場面場面で。
「風のようにうたが流れていた」。いいタイトルだと思う。
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もう2ヶ月近くも前になるが、GW中に映画「スウィングガールズ 」を見た。東北の片田舎の女子高生がひょんなことからジャズに出会い、ビッグバンドを結成。その楽しさにはまっていくお話。理屈抜きに面白かった。
私はブラスバンド部に居たこともあるので少しだけれど楽器の事も分かる。「こんなにすぐに上手にはならないでしょー」と思わなくもなかったが、別に記録を見たいわけじゃなし、要は楽しめればいいのだ。全編に流れるジャズの名曲に酔いながら、笑って、すかっとして、「若いっていいなあ」と感じさせてもらった。
うまく演奏出来たときの満足感。みんなとリズムを合わせる快感。和音の中に自分が存在する恍惚感。それらを思い出す。映画の女の子達は演技を超えて楽しそうで、なんだかとってもうらやましい。で、映画が終わる頃にはうずうずしてきてしまった。なんだか「音楽」をやりたくて仕方がないのだ。「また、音を楽しみたいなあ」それから一週間と経たないうちに、私は楽器店の譜面コーナーに立つことになる。目当ての楽譜を探すために。
結局、それを見つけるのに大きな楽器店を2,3軒回らなくてはいけなかったけど、なんとか手に入れられたときはやっぱりうれしかった。曲は「ルパン三世のテーマ」だ。「ルパンルパンー」てヤツ。ジャズ風のアレンジが、子供から見ても格好よかった。譜面を眺めていると「あんなのが弾けたらいいなあ」と思っていた頃に、心が戻っていくのが分かる。
それからは、娘のためのエレクトーンが私のおもちゃになった。もともと私はピアノを習っていたけれど、エレクトーンは操作法も随分違うし、「ルパン三世・・」が難易度の高い曲なので、弾きこなすのはかなり難しい。でも、だからこそ、少しずつでも弾けるようになっていくのがうれしくて、いそいそとエレクトーンの前に座る私が居る。
この映画を監督した矢口史靖さんはこう言っている。「映画館を出たら必ず音楽をやりたくなっちゃう。そんな映画を目指しました。気付いたら、あなたも楽器を手にしてスィングしてるかもしれませんよー」
そう、私は思いっきり術中にはまったのだった。
いくつになっても何かを学ぶのは楽しい。そりゃあ、上達の具合は昔のようにいかないけれど、楽しむ気持ちがあればまだ何かに挑戦出来るのかなあと思うと、ちょっと元気が出るのだった。
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ぽおっとして日々を重ねていたら、いつの間にかブログ開設一周年が過ぎていたことに気付いた。そうか、一年か。なんだかあっという間だったと思う。そして、ちょうど同じ頃、ある人からメールを頂いたのを思い出した。
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電車に乗っていたら、向かい側の席に座った女性の足が目に入った。年の頃は20代後半ぐらい。まあ、綺麗と言っていい人だったが、足のラインはそれ以上だった。すらりとのびて、それでいて適度に肉もついている。ほれぼれするような足は彼女の自慢なんだろう。当然のようにミニスカートだ。「いいなあ、うらやましいなあ」そう思いながら見とれていた私だったが、視線をスカートまで上げたところで目が点になった。短いスカートの裾と二つの太ももとの間には三角の隙間が出来ていた。そしてその奥には・・しっかりとパ○ティが見えていたのだった。
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ブラジル人の友人Marcoは約束の時間を守ったことがない。待ち合わせをすると、時間よりはるかに遅れてやってくる。そんな時も小走りなんてしない。巨体をゆっくり揺らしながら現れて、「ごめん」という一言もない。にっこり笑って「やあ、元気?」とハグしてくるのだった。これはどうもMarcoの性格とういうよりもお国柄からくるものらしい。
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以前、家の周りの猫よけの方法を皆さんに伝授して頂きましたが、実は・・撃沈でした。教えて頂いた猫よけグッズの看板のすぐ目の前で、野良猫が気持ちよさげに丸くなっております。情報を寄せて頂いた方に申し訳ないので迷っていましたが、もしかするとこの事後報告を待っておられる方もいるかもと思い、報告させて頂きました。(意味の分からない方、申し訳ありません)
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娘がまだ2歳の時、公園で怪我をした。ブランコに乗っていて落ちたのだ。驚いて泣き始めた娘がいつまでも泣きやまない。もしかしてと思って腕を上に上げさせようとすると、案の定痛がって出来ない。ブランコから身体がずり落ちたとき、しっかりと鎖を握っていたせいで肘を脱臼したらしい。周りには心配してくれる他のママ達もいたが、私はそのままその公園近くの整骨院に駆け込み、あっという間に治してもらった。
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娘のクラスの名簿を眺めていると、女の子の名前は本当に凝ったものが多いと気付かされる。にわかには読めないもの。まるで外国の名前のようなもの。私が子供の頃なら、こんな洒落た名は芸能人の芸名でしかなかった。それなのに、我が家は世の中の流れに逆らって娘にシンプルな名をつけた(本人はちょっと気に入らないらしい)。苗字が少々難しいからなのだが、他は特にこだわりがなかったと言っていい。それでも、、私には一つだけ「これは辞めておこう」と思っていたことがあった。
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先週、娘が大切に育てていたたま○っちが風邪であっけなく死んでしまった。たま○っちは仮想のペットだから(こちら参照)また卵から育てなおせばいい。そう分かっていても、ちまちまと世話をし続けてきた娘にとってはショック以外の何物でもなく、気付けば部屋の隅に座り込んでひとりさめざめと泣いているのだった。生きている物とそうでない物とを同列に語ることは出来ないけれど、彼女にとって、初めて身近に体験した「死」だったのだと思う。泣きながら「くよう」ボタンを押すことが、彼女なりに仮想ペットの死を受け止めるための儀式になったようだ。
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前にも書いたが、私は何か面白いことを見聞きしたり、ふと思いついたことがあるとなるべくメモに残しておくことにしている。このところ年のせいなのか、それ以外に理由があるのか、こういうことがぽーんと頭から抜けていくことが増えた気がする。その上、そうやって忘れてしまったもの程とってもいいテーマだったような気になってしまう。それはくやしいので、メモ帳の出番というわけだ。ただ、このメモがもう結構な量なのだが、エッセイにするのにはあまりにささやか過ぎるものもある。そこで、今日はそれらの在庫整理を。
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ベビーカーに乗ったちっちゃな子が、パペットをしっかりと抱きしめているのに出会うことがよくある。パペットは黄色地に茶色の縞々模様。そして半ズボンをはいている。パペットの名は「しまじろう」。関係ない人にはまったく関係ない、だけど小さいお子さんのいらっしゃる方にはあまりにもおなじみ。ベ○ッセによる幼児向け通信教材のキャラクターだ。
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先日、数ヶ月ぶりに友人に会った。最近、彼女はブログを読むことにはまっているらしい。「いやあ、色んなのがあって面白いよ。ついつい、読んじゃうね。Kakoはこういうの、読んだりする?」と言うので、「私もHPとブログ、持ってるよ」と話してみると、「えーっ、そうなのー??」と妙に驚かれてしまった。
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今日の夕方、外を歩いていて何気なく空を見上げたら、なんだか変な形の雲があった。飛行機雲にしては太く、自然に出来たにしては妙にくっきりと線状になったすじ雲が二本、平行して東から西へ渡っているのだ。それを娘と二人でながめながら、「見る人が見たら、地震雲だって言うのかもしれないなあ」と、ぼうっと思った。
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昨年から、文字通り猫の額ほどのスペースでガーデニングを楽しんでいる。まだまだ知識が足りなくて失敗も多く、思った通りの庭にはほど遠いけれど、それでも犬の散歩で通りかかった人などに「お花がステキですね」とか、「いつもよく手入れされていて」などと言われるととってもうれしい。特に今月は昨年購入したミニバラが満開を迎え、それも昨年の倍以上の花をつけたので気をよくしている
いつかは・・と思っていたのが薔薇だった。小さい頃住んでいた家の庭に薔薇があり、母はそれを特別扱いしていたわけではないのだけれど、子供心に何故か別格だった。他の花のことなどほとんど覚えていないのに、庭の片隅の深紅の花が妙に印象に残っているのだ。父が薔薇の刺を折り取り、鼻の頭につけてくれたのもよく覚えている。
そんな個人的な想い出が無くたって、薔薇はイングリッシュガーデンに欠かせないし、何よりその優雅な姿が美しい。やっぱり花の中の王様だと思う。ただ、どうも育て方が難しいイメージがつきまとう。水や肥料も沢山欲しがるようだし、虫や病気の他、冬の剪定などの手入れも、なんだか複雑そうだ。 だからこそ薔薇は魅力的なのかもしれない。なかなか手中に収めることの出来ない女性に、男性諸氏が恋いこがれるように。そうして、何世紀にも渡って沢山の人々が薔薇作りに熱中し、数え切れない種類の薔薇を作り上げてきたのだ。
昨年私がミニバラを買ったのは、いつか大きな薔薇を育てるときのための練習だ。咲き誇ったミニバラを見ながら、「よし、よし、第一ステップOK」と一人悦に入り、「次に挑戦するのはどんなのにしよう」とあれこれ思い描く。それだけでも楽しかった。
でも、先日、ガーデニングショップにはつぼみのついた薔薇の鉢が沢山並べてあった。今は新苗の時期だ。つぼみの先には赤やピンクの色がのぞいていて、それだけでも気持ちをそそられる。年配のご夫婦がうれしそうに鉢を一つ選び、レジへ運んでいる。と、私は、「今はまだ・・」と思いつつ、つい・・・。 今、庭にはつるばらの鉢が置いてある。数日後には花が咲き始めるだろう。そして、それ以上につるが伸びて花が増えていくかどうかは私の腕次第。ちょっと緊張しながらも、楽しみが増えた初夏なのだった。
追記
この記事に対し何故だかトラックバックスパムが絶えませんので、トラックバックの受付を停止させていただきます。
ビアンカさんの「手話という異文化世界」を読んで思い出した人がいる。高校時代の友人のMちゃん。一緒に生徒会の役員をやった仲間で、目のくりっとした可愛い人だ。そんな外見とは裏腹に、性格はむしろさっぱりとして男っぽく、そして行動派だった。
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今年のゴールデンウイークは並びが良かったというので、人によっては10連休になったらしい。我が家の夫の場合、仕事の関係から長期休暇など無理とは思っていたが、ほとんど今週をつぶす形で出張が入ってしまった。それじゃあまりにも娘が不憫だと私の実家に一泊の予定を立てたが、突如もう一泊延長することに。「楽しくて帰りたくなくなったー」というのならいいのだが、理由は別にうれしいことじゃない。帰省するなり私が発熱し、寝込んでしまったからだった。
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今は春の交通安全週間だというので、交差点にテントが立っていて黄色い服を着たおじさんがいる。黄色い服を着たおばさんが横断歩道で旗を持って誘導している。そしてお巡りさんがあちらこちらにいる。白バイに乗ったお兄さんは格好良くて、見かけるたびにどきんとする。まあ、でも、どきんの理由は恋じゃないんだろうな、やっぱり。
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ここ数日東京では初夏と言ってもいい陽気で、すっかり冬が終わってしまった。花が美しい季節になったのはうれしいが、夜の澄んだ空が見られなくなって少し残念でもある。冬の間、娘はよく夜空を見上げて「きれーい、星がいっぱーい」と言っていたからだ。もっとも、そんな星空も、本当は田舎の10分の一も星が見えていないはずだ。私が子供の頃に山間の町で見た降るような星空を、娘にも見せてあげたいと思う。私はそれを見ながら、「大きくなったら天文学者になりたいなあ」と思っていたのだった。
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ある日の昼下がりのこと。娘と二階でおしゃべりをしていたら、階下からがたがたと大きな音が聞こえてきて止んだ。「???」と私たちが顔を見合わせるとすぐ、またがたがたと鳴る。それで気が付いた。誰かが玄関のドアを開けようとする音なのだ。ドアには鍵がかかっているが、そんなことにはおかまいなく、何度も、何度も、ドアを激しく開けようとする音が響いてくる。今まで楽しくおしゃべりしていた娘が怯えて私にしがみついてきた。
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家の近くの公園で桜が満開になった。どうしてだろう。薄ピンク色の花びらが落ちる中を歩いている人たちが、とても幸福そうに見えるのは。そして決まって西行法師の歌を思い出す。「願わくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月の頃」。昔々の人が感じた思いを、私たちも共有出来るなんてすごいなと思う。
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私が小学校一年生のとき、学校に色鉛筆を持ってくるのが流行った。私も母に「みんな持ってるんだよー」とねだって買ってもらい、学校へ持っていった。でも、それから数週間後の保護者会の日、母は注意を受けてしまった。「持っていない子がうらやましがりますから、持ってこさせないで下さい」と。私の言う「みんな持ってる」はちっともあてにならないと、母はおかんむりだった。怒られながらも、不思議だった。私には確かに「みんな持っている」ように見えたのだ。
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今日から復活しています。
丸二日遊び歩いたので、家の用事が・・
遊びの方はそのうち本館HPの方へアップしようと思っています。
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自分の気持ちを伝えるのは、本当に難しいと思う。
私はまだまだ修業不足で、反省ばかり。
一体、いつ、修業は終わるんだろう。
お知らせ
だから、というわけではありませんが、明日から数日の間お休みします。
コメント等が遅れるかもしれませんが、申し訳ありません。
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以前にも占いのことを書いたが、その前も後もあちこちのブログで色々な占いが紹介されていて、みんな占いが好きなんだなあと改めて思う。かく言う私もこの占いにちょっと心引かれて、試してみた。「あなたがつぶやく最期の言葉」である。
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今週テレビは特別番組のオンパレード。普段あまりテレビを見ない我が家だが、今は春休みと言うこともあって娘がアニメのスペシャル版をここぞとばかり楽しんでいる。今日も「ドラえもん」の映画を放送していて、「この映画見たかったんだー」と娘はうれしそうだったが、今日のはちょっと感慨深い放送だった。
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「お母さん、またできてるよー」と娘が言う。私ははっとして眉間に手をやる。いけない、いけない。気を付けないと。こうやってパソコンに向かうのは義務ではないわけだし、むしろ楽しくてやっているのだけれど、あーだこーだと文章をこねくり回している時は結構マジになっているらしく、怖い顔をしているらしい。そして、時によると、眉間に皺をよせているのだそうだ。
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今朝、東京はまぶしいくらいの青空だった。あきらかに日の出が早くなって日差しが強さを増してきている。それでも、気温は低い。日本海側は大雪だったという。そういえば**年前の今日、私が住んでいた街にも雪が降っていたのを思い出す。中学の卒業式だった。私の卒業式は何故だかいつも雪になる。
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日曜の夜は、私にとってとてもリラックス出来るひとときだ。いつもは私とお風呂に入る娘が夫と入浴し、私は文庫本をお風呂に持ち込んで、一人、じっくりと身体を温めることが出来る。それなのに、今日は選んだ本が悪かった。
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今日、娘と話していて、「季節と色」という話になった。「夏はひまわりの黄色のイメージかなあ」「いや、太陽の赤の方が・・。黄色は秋じゃない?」「冬はやっぱり雪の白かな?」そして、春の色は、二人とも一致して「ピンク」だった。
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週末に雛人形を片づけた。今までは必ず立春に飾り、桃の節句の翌日にしまっていたのだが、今年は3月4日が雪模様で湿気が多かったため一日ずらしたのだった。
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tsuyorinさんが恐妻家を装うオットという記事を書かれている。うちの夫がよそでどんなことを言っているかは分からないけれど、恐妻家ぶっている男性は結構多い気がする。私はそれを、「言い訳」か、「処世術」のどちらかではないかとにらんでいる。
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オランダに住んでいた頃、雨さえ降っていなければよく娘と二人で散歩をした。緑にあふれた空き地が多く、そこかしこにある運河にはカモやアヒルが泳ぎ、藪と藪の間を野ウサギが駈けていく姿を見て、小さな娘が喜ばないわけがなかった。季節のよい夏ともなれば散歩しているのは何も子供や犬を連れた人ばかりではなく、お年寄りのカップルが夕食後のひととときをのんびりと楽しんでいる姿に出会った。オランダ辺りの緯度になると、日没が10時近くになるからである。逆に冬は日の当たる時間が短い。雨も多い。それでも春が近づいて日が長くなってくると、外に出ることも多くなった。「春の赤ちゃんを見つけに行こうね」と言って。
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二月ももう半ばを過ぎてしまった。二月は本当に時間が経つのが早い。それは、バレンタインデーの準備のために走り回るから・・ではなく、我が家の場合、確定申告でばたばたするからである。
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父の郷里で、また同窓会が開かれるのだそうだ。還暦を過ぎるとどうも同窓会が多くなるようで、なんだか聞く度になにがしかの同窓会がある気がする。でも、母の話によると、今回は父が参加するかどうか迷っているらしい。その理由を聞いてあきれてしまった。
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もうかれこれ十年ほど前のことになる。共働きに疲れて仕事を辞めた私は、それまでたまりにたまっていた睡眠不足を3ヶ月かけて解消すると、ようやく外に出る気になった。身体を動かそうと区民プールに通い始め、そこへの通り道で見つけたボランティアに参加することになる。視覚障害者の方向けの朗読ボランティアだ。
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タイトルを見て、私がここで夫の愚痴をこぼすのかと思った方は、残念。私は今の夫にほとんど不満がないし、例えあったとしてもその場で本人に言ってしまうので、わざわざここに書き残すようなことにならない。今日のテーマは、すなわち夫が語る愚痴について。
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子供の頃の、とっても嫌な思い出がある。家族と一緒にいたら、母が「あれ? Kakoがいない・・」と言い出した。えっ、と私は焦る。「ここ、ここにいるよ」自分を指さして言うのだが、それが何故だか母には聞こえない。しかも、父まで言い出す。「本当だ。Kakoはどこに行ったんだろう??」「ええっ、ここ、ここ。私はここ」必死になって訴えるのにちっとも二人に声が届かない。あんまり怖くて悲しくて、泣き叫ばんばかりになった頃、ようやく二人が私を見る。「なーんだ、ここにいたのか」実はこれ、私の取り乱す姿が可愛くて何度もやっていた、両親のいたずらだった。
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このところ東京は本当に寒い。冷え性の私にはかなりつらくて、夜お風呂に入るときにはつい「あ゛ー」と声が出てしまう。こんな時、本当に日本人に生まれてよかったと思う。それなのに、明日、暦の上では春になるのだ。その前日の今日は節分。我が家でも春を迎えるべく、娘と一緒に豆まきをした。後で回収し易いよう、我が家ではいつも落花生だ。
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ガソリンスタンドで洗車が終わるのを待っていたら、男性が小さなお子さんを抱いて建物に入ってきた。1歳前後だろうか。目のくりくりとした可愛い(多分)男の子だった。それからほどなくして、入り口の自動ドアが開いた。するとお子さんが「あー」と声を挙げたので思わずその声の方を見ると、入ってきた女性を満面の笑みで見つめている。どうもお母さんらしい。その「お母さん大好き!」という気持ちがあふれた笑顔があまりにも可愛らしかったので、私はしばらく見とれてしまった。
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昨日、スーパーで柔軟剤の詰め替え用を買おうとして手を止めた。最近は日本製のものばかりでなく、海外の製品に日本語のラベルを付けて売られていることも多い。目当ての柔軟剤の横にも少し派手な色のものが置いてあった。それは私がオランダに滞在中に使っていた物と同じだ。懐かしくなったので手に取り、ボトルを鼻に近寄せると、覚えのある甘い香りがしてきた。その瞬間、スイッチが入ったようにオランダでの生活がよみがえってきた。
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雨が降ると、当然我が家の前にあるほんの少しの庭もぬかるむ。一応花壇なのでせっせと耕していて水はけはよいが、そこを歩いた猫の足にはしっかりと泥がつき、玄関へと続くアプローチに転々と足跡が残る。そこから察するに、一日に最低でも一回はどこぞの猫が我が家の敷地内を歩いているらしい。ここへ引っ越してきてからこっち、それが悩みの種だ。
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今日、年賀葉書を持って郵便局に行った。当選した分を景品に換えてもらうためだ。今年我が家の年賀葉書のお年玉当選は4等が13枚。届いた葉書の数はほぼ200枚程度で、4等の当選確率は100分の3だから、「こ、こいつぁ、春から縁起が・・」と、夫婦揃って上機嫌だった。私も夫もくじ運が悪いので、3等以上なんてはなから望んじゃいないのだ。
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娘のクラスに私の旧姓と同じ苗字を持つ同級生がいる。保護者会などに出かけたとき、その子のお母さんを呼ぶ声が聞こえてくると、その度どきっとしてしまう。そう他のお母さんに話したら「まだ、新婚気分??」と笑われてしまった。結婚して十年もすると、旧姓は遠い昔の出来事になってしまう人の方が多いのだろうか。
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書店で、ある女性誌の記事が目にとまった。どうもその雑誌はかなりのページを割いて「黒木瞳特集」をやっているらしい。それらの記事のタイトルが「恋愛から引退しない人生」。さすが、今をときめく美女の言うことは違う。私みたいのが口走ったら皆の頭の上にクエスチョンマークがだだだっと並んでしまうところだ。
もっとも、宝塚を引退した直後はあんまりぱっとしない印象だったのに(あくまで個人的意見)、あれだけの艶を放つようになった理由が「恋愛」にあるのだとしたら、彼女の夫は結構しんどい思いをしているのだろうか。まあ、でも、あれだけの美人の妻である。そういうのは美人税なのかもしれない。美人税、もしかしたら、本人にもあるのだろうか。
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先日、娘の学校関係で、あるボランティアを頼まれた。もちろん、特別な技術が必要な話ではないが、ちょっと難点があった。その時間、既に娘は下校している。私が学校で仕事をしている間一人で留守番しなければならないのだった。
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もう昨日の話になってしまったが、家の近くの商店街を歩いていたら靴屋さんの店先に看板が立っていた。手書きの雪だるまに「明日は雪」と大書してあり、その横に「かも」と小さな文字。「だから雪に備えた靴を」ということなのかどうかよく分からないが、とにかく、今日は東京でも雪が降るらしい。今夜未明から冷え込んでいくのだろうか。
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今日ガソリンスタンドに寄った。ついでに洗車を頼んだので、店内で缶コーヒーを飲みながら待つことに。こういう場所は男の世界だからなのか、それとも店長の趣味なのか、暇つぶしを助けるために置かれているのはスポーツ新聞と青年漫画誌しかなかった。全く私の趣味ではないが、ま、こういう時でもないと読むことはないので手に取る。・・と、読み進めての感想は、カップ焼きそばのCMじゃないが、「男ってバカよね」というものだった。
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お正月に家族でファミレスに出かけた。別に珍しくもなんともない出来事なのだが、娘が、お皿を片づけていったバイトの女性を見て驚嘆の声を上げた。「す、すごい!」女性は腕全体を使っていくつもの皿を持ち、危なげなく厨房に運んでいたのだ。「あれは、多分コツがあるんだろうね」そう答えながら、バイトだろうとなんだろうと、働くっていうのは何かを身につけることなのかもしれないと思った。
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私が結婚する前、お正月に帰省する私と妹に父が言った。「大晦日の夜というのは家族で過ごす日だ。この日に家にも帰ってこないような娘に育てた覚えはないし、そうなったらおしまいだ」おしまいというのが何を指すのかよく分からないが、こう信じている父を裏切るわけにもいかず、たとえ友人から旅行や初詣の誘いを受けたとしても断って、大晦日から元旦にかけては必ず実家で過ごすことにしていた。だから、お正月というのは私にとって家族というものを感じる機会でもある。
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皆様、明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
・・と年賀状並みの定型句ですが、どうぞお許しください。
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テレビからタイトルのこの言葉が聞こえてくると、ああ、本当に今年も終わるのだなあと思います。こうして家族全員無事に年を越せるというのは、何にも増してありがたいことです。
それでも、日本は今日広い範囲で雪に見舞われました。娘は喜んで雪だるまを作っていましたが、空も陸も交通機関が乱れているようです。今年は本当に最後の最後まで予期せぬ出来事に見舞われた年でした。来年は一体どんな年になるのでしょう。不安よりも希望を持って迎えたいとは思いますが・・。
どうぞ皆さんにとってよい年になりますように。そして、来年もよろしくお願いいたします。
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私も主婦のはしくれなので、年始の準備ぐらいはする。だから、今日は大嫌いな人混みにも出かけていって、色々と買い込んできた。日本はもう随分季節感が失われてきたとは言いながら、それでもお約束の光景は変わらないようだ。私と同じようにお正月用品を選び、長い行列の出来たレジに辛抱強く並ぶ人たちを見ながら、なんだか少しほっとした。
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私は小学三年生になる一人娘が可愛くて仕方がない。だからといって猫かわいがりして叱りつけたりしたことがない・・などいうことはない。同性だからだろうか。私と娘は違う人間だと分かっているのに、ついつい自分との些細な違いにいらつき、叱ってしまうことも多い。
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もう早クリスマスまでほんの数日。我が家の娘(8歳)のところにもまだサンタクロースはやって来る。親の私には子供の頃サンタクロースなど来ず、子供に嘘をつきたくなかったから」というもっともらしい理由を告げられてけなげに納得していたのだけれど、それでもやはり娘には人並みに夢を見させてあげたい。それで、今年も我が家のサンタは娘の希望のおもちゃを買いに某大型おもちゃショップに出向いたわけだ。が、あまりのお客の多さに呆然としてしまった。
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私は田辺聖子氏の小説・エッセイが中学生の頃から好きで、ほとんどの作品を読んでいる。その中に女性作家の家に住み込みで働く女性を主人公にしたお話があり、ちょっと興味を引くシーンが出てくる。書くことにつまづいた時、その作家がファイル棚から「○番の雑誌を持ってきてえ」と主人公の女性に頼むのである。そこには作家の作品を褒め称えた記事が載っている。作家はそれらで自分の気持ちを奮い立たせるというわけだ。もう子供ではなくなっても、誰だって褒め言葉はうれしい。もちろん、私だってそうだ。
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先日、乗ろうとした電車の**線で事故があってダイヤの乱れが起き、昼間だというのにまるで通勤電車のような混雑具合になってしまっていた。それでも「次の電車がいつ来られるか分からないので、来た電車に乗って下さい」というアナウンスがあったので我慢して乗り込んだのだが、すぐそばの若い女の子が私に背を向けてドアのそばでなにやらごそごそしている。なんだろうとのぞき込んでちょっと驚いた。彼女は窓に向かってマスカラを塗るのに熱中していたのである。車内は周囲に立っている人たちと身体を触れずには居られないほどの混み具合。器用にマスカラを塗り込んでいる横顔を、私は惚けて眺めていた。
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先週夫が仕事で九州に行った。相変わらずのせわしさで日帰りの旅だったが、お土産に豚骨ラーメンを買ってきてくれたのでそれが今日のお昼になった。中華麺を茹でる前にまずは温めておこうとラーメン丼を3つ調理台に並べる。と、「あー相変わらずだー」と笑ってしまった。一つとして同じ物がない。一回り小さい子供用丼はともかく、私と夫のものでさえ我が家はバラバラなのである。
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さっきまでドラマ「黒革の手帳」の最終回スペシャルを見ていた。たまたまテレビがついていたからというだけだったのだが、ぐいぐいと引き込まれてつい最後まで見続けた。もともと松本清張の原作が骨太だということもあるだろうが、銀座に生きる女があらゆる手を使って渡っていくその様が壮絶で、「ひゃー、世の中にはこんな世界があるのか!」という怖い物見たさが大きかった。
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先日、ホワイトシチューを作った。いつもならホワイトソースから手作りするのだが、たまたまスーパーでハイ○ツのホワイトソースの缶詰が安売りされていたので、久しぶりに使ってみたのだった。結果、夫と娘から「おいしい、おいしい」と賞賛の嵐。娘には「今まで食べた中で一番」と言われてしまった。うれしくないわけではないが、複雑な気持ちだ。やっぱり、まだまだ私は主婦として修業が足りないらしい。
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学生の頃いくつかしたアルバイトの中に、試供品くばりというのがある。別にハイレグレオタードやミニスカートのコスチュームを身につけて煙草あたりを配ったわけではない。そういう系統のものをやろうとしてもおそらく(絶対?)面接で落とされただろうが、私がやったのは大学の掲示板に張り出されていた、なんだかとっても地味そうなティーンズ向けの洗顔料配りだった。あの頃のティーンズは、まだ購買の大きなターゲットにはなっていなかったのだ。
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このところソフトバンクの孫氏が話題であるらしい。いや、本当は彼が主張していることが話題のはずなのだが、何故だか彼本人の名前や顔ばかりが記憶に残ってしまうのは私だけだろうか。まあ、その孫氏の話はおいておいて、本題の携帯電話について。周波数の割り当てについて彼が総務省にかみついているのだそうだ。私も、一応、この成り行きをちょっと遠くからながめさせてもらっている。
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もうこの春からうわごとのように言っている。そして、私自身はいたって真面目に取り組んでいるつもりである。でも、ちっとも効果がない。ああ、一体どうしたらいいものか。「痩せる」というのは、年齢とともにどんどん難しくなっていくのだ。
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先日、スーパーのおもちゃ売り場の辺りを歩いていたら、聞き覚えのある音楽が耳に飛び込んできて思わず足を止めた。もう、聴くだけでわくわくした気分にさせられるメロディーライン。音のする方へ目を向けると、テレビモニターにCMが映し出されていた。「ドラクエⅧ、発売!」ああそうなのか。もうパート8なのか。なんだか感慨深くてしばらくたたずんでしまったら、私から3メートルぐらい離れた位置に同じようにCMをながめている同い年くらいの男性に気付いた。男性も私に気付く。目が合い、そこから恋が・・うまれるわけもなく、そそくさと二人ともその場を去った。
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学生の頃、友人に「Kakoってバイリンガルみたいだね」と言われたことがある。ちなみに私は英語が最も苦手な科目で、なんとかして避けたいと逃げ回っていた。その後そんな私に神様が「少しは勉強せい!」と喝を入れようとしたのか海外で暮らす羽目になったが、相変わらず苦手意識はなくなっていない。だから、私が使いこなせるのは日本語と英語の二カ国語というわけでは、もちろんない。
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年末が近づいてくるとCDの発売ラッシュだ。だから、昨日は夫と二人でついつい数枚買ってしまい、夜はその鑑賞会になった。特に中島みゆきの「いまのきもち」は、初期の頃のアルバムに収められていた曲が別アレンジで再録されていて、オリジナルと比べてみるのが面白かった。
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今日は朝からばたばたしてしまった。娘が登校する時間になって、昨日のうちに給食着にアイロンをかけていなかったことに気付き、慌てて用意しなければならなかったからだ。週明けのお約束ごとだというのに相変わらずぐーたら主婦で、自己嫌悪に陥ってしまう。今日はさらにその後に仕事に出かけなければいけなかったので、慌ただしい気分のまま家事を超特急で済まし、家を飛び出したのだった。
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「お母さん、そろそろ寒くなってきたねえ」にこにこしながら娘が言う。「そろそろ来るかな」と思っていたら、もうそんな季節になっていた。娘(8歳)の手にはかぎ針が握られている。私が二年ぐらい前にあげたものだ。娘にとって、寒くなってきてからの楽しみは編み物なのである。
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晩秋に空がグレーににごり、雨交じりのお天気になると、二年間住んでいたオランダを思い出す。ヨーロッパの冬の空は東京では考えられないほど暗かったのだけれど。だから今日は、あの頃窓にたたきつけられる雨を見ながら聞いていた曲を一日中流していた。仕事をしながら。移動の車のなかで。こうしてパソコンに向かいながら。先月発売になったRobbie Williamsのベスト盤だ。
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この間の休日、夫が一階にいるのを確認しつつ、娘(8歳)が二階の私のそばに来てそおっと私の耳にささやいた。「あのね、お母さん。秘密のお話があるんだけど」見るとなんだか頬が紅潮している。「何? 何? 何の話?」なんだかわくわくして娘にひそひそ声で尋ねる。「あのね、お父さんにはぜーったいに言わないでね」「うん、わかった、絶対に言わない」
娘はなんだかもじもじして、私からちょっと目をそらしながら言った。
「私のね、好きな人、教えてあげる」
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ちょっと気の滅入る出来事があったので、今日は朝からなんだか気分がすぐれなかった。こんな時は土いじりをしよう。おあつらい向きに天気はよくなる方向。気温も高そう。せっかくだから花に囲まれに、いつものガーデニングショップに出かけることにした。
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昨日私と警察との関わりについて書いたときには気付いていなかった。私には警察とのもっと大きな縁があったというのに。
今更書くのもはばかられるのだが・・・祖父が元警察官だった。
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昨日、とある公園のコスモス畑に家族で出かけてきた。空は久しぶりの澄み渡った青一色。そんな空を背景に濃淡様々のコスモスは本当に綺麗だった(一部、台風のせいでなぎ倒されていたのが残念だったが)。小学生の頃、その花の名前そのものの歌が流行り、コスモスとは秋の桜と書くのだと知ったときの感動を思い出した。
秋の日差しが差し込む公園。そこには子供連れでやってきている家族と、ごついカメラと三脚を担いだ少々ご年配の方々と、大きく分けると二つのタイプの人々であふれていた。
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私の母の愛読書は辞書じゃないかと思っていた。最近はそうでもないけれど、居間のテーブルの上にはよく辞書が置いてあって(そのせいで幼い私が書いた落書きもある)、手紙を書いたりするときにはかならず確認をしていた。私も口うるさく言われていたので、こうしてパソコンに向かうときにも必ず横に辞書が置いてある(なのに、時々間違う・・反省)。
母はその他にも辞書をぱらぱらとめくっていることがあった。「だって、新しい言葉を発見できるじゃない」というのだ。新しい発見があって面白いということであれば、私にとっての地図がそうだ。
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昨日娘(8歳)から誕生日のお祝いにと絵を贈られた。実物よりかなり美化された私の絵が描いてあり、その上に「お母さん、いつもありがとう」の文字。もちろん、とってもうれしいが、涙でうるうる・・というところまでいかないのは、こういう言葉をいつも娘が言ってくれているから。娘はまだ幼くて「そんな恥ずかしいこと言えないよ!」というところまで成長していないというのもあるが、我が家では思ったことをそのまま口にするのが当たり前になっているのだ。
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我が家のご近所に、とっても元気なおじいさんが住んでいる。朝から晩まで天気さえよければいつも外にいて、バットで素振りをしている。このおじいさんが立っていれば泥棒など近寄ってくるはずもない。実際、私がでかけようとすると、「奥さん、安心していいからね。お宅のことは私が見守っているから」と仰って下さる。まるで私設ガードマンさんである。
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今日は台風一過で文字通り爽やかな秋晴れ。おかげで心まで晴れやかになる。
太陽を浴びながら玄関先の花を手入れしていると、「あー、生きてるって幸せだなあ」なんてことまで思う。人をここまでのびやかな気持ちにさせてくれる太陽って、すごい存在だ。そして私が太陽とセットだと思うのが土。土を触っていると落ち着くのは何故だろう。
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先日紀伊半島で大きな地震があったのは皆さんご存知のことだと思う。その前は浅間山が噴火したし、今日も新潟で地震が起こった。いくら地震の多い日本でも、ここまで続くと「日本の地下で何かが起きているのではないか?」という気になってしまう。それは何の根拠もないことではあるけれど、私は東京に住んでいるので、起きる起きると言われている東海南海地震のことが気にかかる。で、とりあえず防災用品だけは揃えておこうとこの数日スーパーを物色したりしていた。
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娘はまだ小学三年生なので、自分の部屋にこもって出てこないということがない。遊び道具やら本やらをかかえてリビングにやって来、部屋に戻るときにそれらを置いていってしまう。当然、私は「持ち込んだら持って帰る!」と雷を落としつつ、それらの私物を回収して回る。
先日もそんな風に掃除をしていたら、小さなメモ用紙が何枚か重ねてテーブルの上に置いてあった。「まったく・・」ため息をつきつつ覗いてみたら、それは・・
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このブログもこれが記念すべき47記事目。何故こんな中途半端な数字が「記念」なのかというと、ほぼ週一で一年連載を続けた「オランダ暮らしの雑記帳(のちblogに移管)」に並んだからである。よくネタも尽きずに続けられたものだ。これもひとえにコメント、トラックバック等、関わって下さった方が沢山いらしたおかげだと思う。改めて感謝申し上げたい。
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今日の出来事。娘が学校のプールから帰ってくるなり、「お母さん、私、学校の池に落ちちゃった」と言った。彼女の学校にはおたまじゃくし観察のためなのかなんなのか、ちっちゃな池がある。「は? なんで?」「見てたらね、どぼんて」「洋服は?」「乾いちゃった、ほらね。でも、パンツがびしょびしょ」速攻で風呂場に行かせたのは言うまでもない
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今日高校時代の友人からはがきが届いた。北海道勤務だったご主人が山形に転勤になったのだそうだ。山形は前任地だったから、よく知った街に戻ることになる。私もそこには遊びに行った。それ以来会っていないから・・そうか、もう十年になるのか。
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ある日家に帰ると母親がやたら芸能ニュースに詳しくなっている・・なんて覚えはないだろうか? 「ああ、それで」よくよく見れば母親の頭は心なしか綺麗に整って、独特のいい匂いが漂っている。「今日、美容院行ったでしょ?」というと、「あっ、分かるぅ?」と頭に手をやってうれしそうに笑う。いや、髪型で気付いたんじゃないんだが。
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今日、Poohpapaさんの悪徳不動産屋の独り言の中でこのblogを紹介して頂いた。もう、こそばゆいほどの褒めて頂き方で居心地が悪いくらいなのだが、poohpapaさんのblogが人気だけにその直後からアクセスが急増している。素直にうれしい。が、ふと不安になった。飛んできて下さった方から「看板に偽りありじゃないないか!」とpoohpapaさんに苦情が殺到したらどうしよう。うーむ、予めPoohpapaさんにはお詫び申し上げておかなくてはいけないかもしれない。
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今日、娘と休みのとれた夫とでプールに出かけてきた。私の場合、ひとしきり遊んだ後はずーっと休憩タイムで、夫を娘に預けたまま(二人は恋人同士といってもいい仲なので、私がいなくても一向に構わない)レジャーシートの上でごろりんと転がるのがお約束である。ただ、プールサイドはコンクリートで固く、そんなところで寝ていると肩が凝るので身体を起こしてぼーっとしていることも多い。プールには色々な人がいる。見ているだけでも面白いのだ。
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まったく暑苦しい日が続く。こう続くとさすがに息切れがしてきてしんどい。どうやって涼を採ろうか。クーラーや扇風機で強制的に涼しくなる方法。冷たく冷やしたスイカやかき氷などお腹から冷やす方法(時々冷えすぎて泣く)。環境ビデオ、風鈴などで五感を刺激する方法。いろいろあるが、この時期には怪談話が一番という人も少なくないかもしれない。
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昨日、午後3時頃、東京は激しい雷が鳴っていた。私は雷が死ぬほど怖い。でも私は母だ。怯える娘の前で「怖いよう」と泣くわけにはいかない。歯を食いしばり、ひきつった笑顔で「大丈夫よお」と微笑まなければいけないのだ。親になるって、怖いことを怖いと言えなくなることだとつくづく思う。
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声というものは、自分中で響いて耳に届く音と、空気中に漂って他人に聞いてもらう音とではかなりの違いがあるらしい。カセットテープに録った自分の声には唖然とさせられ、「私ってば、こんな声で話してるわけ?!」と落ち込んでしまうのだ。声でその人のイメージが決まってしまう部分もある。低い私の声は、どうも「落ち着いた人」の印象を与えるらしい。ところが実際はその逆なので厄介だ。まあ、そのギャップをうまく使いこなせればよいのだろうが。
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昨日街で買ってきたうちの一つは「ファインディングニモ」のDVD。誰もが知っているであろうディズニーのアニメだ。一月以上も前に予約していただけに娘は大喜び。映画館で既に観ていたにもかかわらず、帰って来るなり一緒にソファーに座り込んだ。中に私が思わず苦笑してしまった台詞がある。「どうして男って人に道を尋ねるのが嫌いなの?」
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今日も娘から指摘される。「あー、お母さん、またちょこっとだけ残してるー」
どうしてだか私は飲み物を少しだけ残すくせがある。
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ようやくオランダ暮らしを振り返ったエッセイ「オランダ暮らしの雑記帳」の連載を終えることが出来た(実際はただの移管だが)。ほっとすると同時に寂しいのもまた事実で、これはもう少し、書くことにこだわってみようかなとエッセイを書き続けることにした。
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