もう一つの卒業

先月、娘の小学校卒業を祝うということで、家族旅行に出かけてきた。しばらく家庭の事情で旅行らしい旅行も出かけられなかったこともあってちょっと奮発した旅だったのだが、大多数の方が期末で忙しい時にお休みを取ったバチなのか、帰りの飛行機が燃料系のトラブルで飛ばないなどのアクシデントもあり、色んな意味で印象に残るものになった。いずれにしろ、娘が子供料金で出かける旅行はこれが最後であり(ちなみに、海外の場合は小学生かどうかではなく12歳未満が子供料金)、子連れ旅行の卒業でもあった。

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歳月の重み

育児は「育自」とも言われる。子供を育てながら、親もまた育っていく。確かに育児を通して学ぶことは多い。また、私はそれとは別に自分自身の「育ち直し」でもあるんじゃないかと思っている。子供の成長を間近で見ながら、自分の育ってきた道をもう一度辿りなおしているのではないかと。

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卒業

先日、我が家の娘が無事に小学校を卒業した。小学校という6年間は長い。心も、身体も、劇的に変わっていく。それだけに「あの小さかった子が、こんなに大きくなって・・」という親の感慨も大きい。卒業式の保護者控え室で顔をそろえた卒業生の親たちは、皆始めからいつもよりも緊張気味で、顔つきも変わっていた。

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花より布団

スイスやオランダの家々がテレビ等で映し出されるとき、その美しさに感嘆する人は多いと思う。かわいらしい家の窓にこぼれんばかりの花々。花はたいてい赤やピンクのゼラニウムだ。手入れの簡単な多年草で開花時期も長いのだが、あまり寒さには強くない。それだけに霜をよけられるベランダ等には最適な花なのだろう。

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プチセレブ

このところずっとイマイチよく分からないのは、「セレブ」という言葉である。語源になったセレブリティーというのはもともと「名士」といった意味なんだろうと思うのだけど、海外セレブと言って指しているのは大抵芸能人である。とすれば、「お金持ち」ということなのだろうか。テレビでは「セレブな奥様」とか「セレブなランチ」とか、とにかくもう「セレブ」の大安売り。結局「セレブ」は「リッチ気分の」ぐらいに私たち庶民にまでぐっと近づいてきてくれたわけだ。まあ、有難いといえば有難い。

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ハッピーエンド

先日、ふと本屋で目にした本を、娘のために買って帰った。「小学5年生」重松清著。帯には「人生で大事なものは、みんな、この季節にあった」とある。小学5年生の男の子が主人公の様々な短編集だ。同年代の男の子の心情には、きっと娘も共感するだろうと思った。で、まずは私が読んでみた。読んでみて、「しまったな」と思ってしまった。

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親離れ

4月というのは街全体が華やいでいる気がする。誰もがそわそわとして、一生懸命に見える。実際、新しい生活を始めた人は多いだろう。真新しい制服に身を包んだ学生が、スーツ姿の母親に連れられているのを沢山見かけた。

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教え

あれからもう十日が過ぎた。一匹残された我が家の金魚「チル」は一週間ほどはなんとか頑張っていたが、結局深夜、「クル」の後を追ってしまった。

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クルとチル

人には犬派と猫派が居るという。でも、私には選べない。とにかく、どちらも捨てがたいほど好きなのだ。でも、娘から「犬が飼いたい!」と請われての答えは「NO!」だ。ペットはとても可愛いけれど、命が重い。自分よりも先に死んでいってしまうことを思うと、簡単には「うん」と言えないのだ。だから、近所の商店街の夜店で金魚すくいをねだられたときは随分抵抗した。でも、まあ、金魚ぐらいなら、死んでもつらくないかも・・と渋々うなずき、そうして二匹の金魚が我が家にやってきたのだった。一年半前のことだ。

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お正月の風景

最近、NHK朝の連続テレビ小説「芋たこなんきん」を見ている。この小説の原案・モデルが作家の田辺聖子氏で、私は小学生以来の大ファンだからだ。エッセイで読んでいた言葉を登場人物たちが語っているのを見るのは、ファンとしてとてもうれしい。また、舞台が昭和40年代のため、なんとなく懐かしい風景に出会える。年が明けてからの放送では季節に合わせてなのかドラマの中でもお正月を迎えていて、自分の子供の頃のことを思い出させてもらった。

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新しい年に

今、年が明けました。

大掃除から続いておせちづくり。一応私も主婦のはしくれなものですから、ずっと立ちっぱなしでへろへろです・・。

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働くこと

私の高校時代の恩師にY先生という国語の先生がいらっしゃった。ぐいぐいと生徒を惹きつける授業が有名で、その授業法を学びに他校から見学の先生が来ることもあった。私も「右と左の書き順は何故違うのか」などという質問をし、先生は「時間を下さい」と仰ると、次の授業の時には丁寧に説明してくださったものだ。あの先生に出会うのが1年ほど早かったら、私は国文学を学んでいたかもしれない。

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残された時間

先日、ちょっとした手術を受けて入院した。手術前日までぴんぴんしていて命に関わるようなものではないし、以前に同様の手術をしたことがあって何の心配もしていなかったが、あれから約20年。医術も進歩したろうが私の方もすっかり年季が入っている。「前と同じって訳にはいかないよなあ」と覚悟していた。

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ある日の夜遊び

先日、中学時代の友人と会った。彼女とは生活パターンが違うので滅多に会うことはないのだが、娘が宿泊学習に出かけた隙に「夜遊びに連れてってちょうだーい」と頼んだら、快くOKしてくれたのだ。不思議なもので、顔を合わせるとお互い中学の頃の自分に戻ってしまう。それが心地いい。

それで、連れて行かれた、もとい、連れて行ってもらった場所である。そこは、私のイメージに程遠い(かもしれない)、おかまバーであった! 

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憎きもの

「カラスは何故鳴くの?」という問いに「カラスの勝手でしょ」はあまりにひどいが、「山に7羽の子ガラスがいるからなのよ」という答えは、カラスと人との関係が昔と今では違うのかなあと思う。今、都会でカラスは厄介者だし、怖いものでしかない。

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何度でも

黄金週間。今年は並びがいいとかで、長期休暇になった人も多いらしい。成田が混雑しているとか、行楽にでかける人で高速道路は渋滞だとか、そんなニュースを横目で見つつ、我が家は車で一時間の実家やらご近所の公園に出かけていた。もちろん、これはこれで楽しい。特に日頃ばたばたしている主婦の私にとっては、ちょこまかと外食できたのがうれしかった。そして、ご近所においしいパスタのお店を見つけたのも収穫だった。

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正しい走り方

もう何度も書いてきたような気がするけれど、私はスポーツというものが苦手だ。自分だけの責任になる個人競技はともかく、チームを組まなくちゃいけない種目は特に嫌いだった。最初のうちは「どんまーい」とか「ガンバ!」とか優しく言ってくれていたチームメイトも、失敗の回数を重ねれば視線が冷たくなる。だから、バスケットの授業なんかでは、パスなどもらわないように、目立たないように、できるだけコートのはしっこを走っていたものだ。

そんな私でも、先日テレビで子供たちの運動能力低下を嘆く番組を見たときには、改めて考え込んでしまった

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一匹で

私は犬も猫も大好きだ。娘も犬が大好きで、しばらくは「飼いたい!」と随分せがまれたけど、「うちでは飼いません!」といい続けたせいで最近ではあきらめたらしい。私がダメと言ったのは、ペットが居ては好きな旅行に手軽に出かけることができないのもあるが、人間よりも寿命の短い彼らを、いつか見送らざるを得ないのが怖いからだった。私は臆病者なんである。

で、代わりと言ってはなんだけれど、我が家ではよく犬とのふれあい広場のようなところへ出かけている。都内にはこういう施設がいくつもあるが、場所によって本当に雰囲気が違う。私たちがいつも出向くのは、とても人懐こいわんちゃんばかりがいる所だ。

こういうのは、普段そのわんちゃん達がどういう風に扱われているかが出るのだと思う。そこはいつも清潔に保たれているし、わんちゃん達の目におびえがない。人間に全幅の信頼を寄せているのがよくわかる。こちらが座り込むと甘えるようにひざに乗り、まあるくなって頭を私たちの腕にのせる。目を細めて心底リラックスしているわんちゃんの頭をなで、そのことで私たちが癒されていく。その感覚を楽しみに、私たちはいつもでかけるのだった。

今日も例によってそこに出向いたのだが、入ってすぐのところに一匹だけ離されている犬がいた。その犬は私たちの姿を見つけると大喜びで、身を乗り出すようにして囲いに足をかけていた。その姿があまりにかわいかったので私はしばらくその犬をかまってやった。が、ほどなくして、その犬がどうして皆から離されてそこにいるのか分かった。

そのトイプードル、まるでぬいぐるみのように愛くるしいのだが、大きな欠点があった。口のそばにくるもの、全部かんでしまうのである。私が手を寄せると当然のように甘がみしてくるし、気付けば傍らに置かれたぬいぐるみのおもちゃは、噛んだ後だらけでぼろぼろだった。そこは小さい子供も犬と触れ合える施設だ。すぐに噛んでしまう犬を、その集団の中には置いておけなかったのだろう。

時間が経つにつれ、そこは子供連れで大賑わいになっていった。広場のほうでは沢山のわんちゃんと、そのわんちゃんたちをなでたり抱っこしたりする子供たちがうれしそうにはしゃいでいた。でも、隔離された「問題犬」はただ一匹、もくもくとぬいぐるみにかみついていた。

人間と楽しく遊ぶことが使命のこの場所で、あのわんちゃんはこれからどうなっていくんだろう。ちゃんと噛むことをやめ、うまくやっていくことが出来るんだろうか。

どうしてなのかよく分からない。でも私は、今日私のひざの上で上手に甘えていたわんちゃんよりも、あの犬のことがいつまでも気にかかっているのだった。

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そろそろ

色んなことを考えたり、ぼーっとしたりしていました。

が、ぼちぼち、慣らし運転から始めようと思います。

更新頻度がどうなるか分かりませんが、またよろしくお願いいたします。

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ようやくですが

ココログが不調で書き込めない時間が長くありました。

ようやく復旧したのですが、ちょっとお詫びをさせていただこうと思います。

今年に入り、かなり投稿がまばらになっていました。ごたごたとしたことが身辺にあって忙しなかったことが一番の原因ですが、その他にも気をとられるようなことはあり、なんとなく文章を書く気分になれなかったのです。私がここで皆さんにお伝えしたかったのは、基本的に「幸せな気分」です。それが、忙しさや心配事のためにちょっと無理になっていました。さらには、他の方の記事へのコメント、トラックバックなども、このところはめっきり減っていました。

久しぶりに、ブログを始めた頃の記事を読み直してみました。ところどころ直したくなるような言い回しのものもありますが、なんだか書くことが楽しいという雰囲気が伝わってきて、「ああ、このころ、色々な意味で安定していたんだな」と思います。そして、「そういう状態の時でなければ書くのは止めておいた方がいいのかもしれないな」と感じました。

すみませんが、しばらくの間、ブログの更新はお休みしようと思います。再開がいつになるのか先のことは分かりませんし、再開しようという気持ちになれるかどうかも、残念ながらよく分かりません。

それでも、いつも読みに来てくださっていた方々には本当に感謝しています。励ましや、アドバイスなど、本当に沢山のお言葉を頂きました。改めて御礼申し上げます。また元気になって以前のような記事がかけるようになれましたら、またこちらに遊びに来ていただけれたらと、我侭なことを願っております。

ありがとうございました。

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愛される方法?

美容院なんかでファッション雑誌を読んでいると「あんたのファッション、まるでダメ」と言われているようでなんとなく落ち込んだり、腹を立てたりしてしまう。でも、それと同時に元気をもらうこともある。

こういった雑誌にはたいてい今をときめく女性のインタービューやエッセイが載っているが、旬であるだけに輝いていて美しい。それだけでなく、「私はこう生きてます!」という言葉を持っている。その前向きな姿勢が私たちにパワーをくれるのだ。我ながら単純だと思う。

まあ、でも、こういうものをよく見かけるということは、お手本を求める女性は多いのだろう。「こうありたい」という具体的なイメージが女性を努力させるのかもしれない。そして、記事で紹介された素敵な洋服や肌が美しく見えるという化粧品に手が伸びるというしくみだ。

でも、その憧れの先には何があるんだろう。なんてことを考えながら本屋を歩いていたら、あるコーナーで立ち止まってしまった。同じようなタイトルの本が沢山並んでいる。そのどれも、「本当の愛を得る方法(平たく言えば、本カノになる方法)」が記述されているようだった。

こんなこっぱずかしいことを堂々と文字にするのはどんな人だろうと思ってしまうが、ほとんどは男性が著者だというのが面白い。つまり、体験談ではなくて、「男とはこう考えていますよ」と教えてくれているわけだ。男性へのアンケート結果で記事を構成することが多い女性誌もあることだし、結局、女は「男に、それも本命の男性にどう思われるか」ということが判断基準のひとつだということなのかもしれない。

じゃあ、対する男性はどうか。うちの夫は雑誌といえばコンピューターだの、カメラだの、車のものしか読まないからよく分からない。でも、先日今流行の「ちょいワルおやじ」向けの雑誌を読んでみたら、キーワードは「いかに女にモテるか」ということだった。そういえば男性向けの週刊誌にもこういった特集はよく見かける。そしてこれは配偶者がいるとかいないとか、年齢がいくつかといったことは関係ないようだ。

もちろん、男性も女性も、雑誌から浮かび上がるようなステレオタイプの人間ばかりじゃない。そういうのからちょぴっと外れた感のある私みたいな人もいる。でも、真実の愛を得るために努力を重ねる女たちと、より沢山の愛を得ようとする男たちという図式がある程度存在するとしたら・・・

男と女が分かり合うのは、やっぱり難しいのかもしれない。

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仲間たち

久しぶりに学生時代の仲間が集まった。私のいた学部は一学年に1000人もいて、そのうち女子はたった8人だった。1%以下。これはもう誤差の数字である。だから、馬が合うとか合わないとか以前に仲間意識は強かった。それでも、そんな境遇をわざわざ選ぶような人達だから皆個性は強く、いつも何かに忙しいせいで全員が集まったことがほとんどない。卒業間際にレストランで開いたランチ一度きりだった。

卒業してからは尚更だった。いつも誰かしら海外に住んでいたし、何より仕事で忙しい。私みたいに主婦をやっているとちっともみんなが構ってくれない。ちょっとくさったりもするけれど、それぞれの境遇や考え方を尊重して決して意見するということがないから、疎外感を感じるわけではない。大切な友達であることに違いはなかった。

今回はなんとか集まってそれでも4人。当時からもてなし上手だったFが昼食を用意してくれ、ケーキやらワインやらを持ち寄り、あの頃の思い出話や近況報告を肴にぺちゃくちゃとおしゃべりした。それはなかなか尽きることがなかった。そして、皆、変わっていないようで、やっぱり少し変化してきていることに気付く。

あの頃は皆、トイレに行くのにも苦労した。男の子たちと食事をしていれば、なんだかんだと噂されたりもした。こちらが女だというだけでむやみに敵対心をぶつけてくるわけの分からない男もいたし、影で批判されたりもした。当時からそんなことには動じない子もいたけれど、片意地張って突っ張っていた部分はあったと思う。私なんて、ハリネズミ状態だったような気がする。

なのに、今回会った面々は皆無理している感じがなかった。自然体なのだ。今まで自分が生きてきたことへの自信がそうさせるのだろうか。時を重ねるということはそういうことなのかもしれないと、笑顔の彼女たちを見て思った。

ちなみに今回皆が集まったきっかけは、仲間の一人Nが海外赴任することになったから。結婚以来もう何年も別居婚を続けてきた彼女だけど、海外赴任にあたって旦那様が休職して付いてきてくれることになり、お子さんも含めて3人、初めて家族水入らずの時を過ごすという。海外での生活に不安を感じる面はあるにしても、彼女の顔は晴れやかで、希望に満ちてもいた。彼女がその生活を元気に乗り切れますように。より楽しめますように。

彼女の新しい門出に、乾杯。

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たそがれ

夕方、娘と一緒に自転車を走らせていると、どこからともなく夕餉の支度をする匂いがしてきた。「あー、お腹ぺこぺこー」と言い合いながら、少し感傷的な気分になってしまった。どうして、こうして漂う匂いはどれもとてもおいしそうなんだろう。そして、西の空のたそがれとセットになって、何やら切ない思いがするのはどうしてなんだろう。こういう気持ちは、子供の頃とあまり変わらないと思う。

私の子供時代は「遊べや遊べ」だった。文字通り、日焼けや泥で真っ黒になるまで遊んだ。辺りが暗くなり、あちこちからいい香りがしてきて、初めて夕方になったのを知った。どうせ明日はまた来るのに、一日が長い子供にはそれが果てしなく先のことに思えて、遊びを切り上げるのがもったいなくて仕方がなかった。「じゃあね」と手を振る友達の顔も悲しげに見えた。

それでも、家に戻れば明るく灯がともっていて、母が用意してくれた夕ご飯が食卓に載っている。「もう、決して食べ過ぎません!」と誓いたくなるほど、お腹がぱんぱんになるまで食べてしまうのだった。

今、私は主婦になって、時々ふとさびしい気持ちになることがある。もうどんなにお腹を空かして家に帰っても、暖かく作られた料理が待っていることはない。自分でお鍋をうんしょとガス台ににのっけて、おいもやら大根を煮なくちゃいけないのだ。

誰かが自分のために用意してくれた食事はおいしい。それが自分の家であれば尚のこと。女が一度家を出て家庭の中に入ってしまうと、もうそんなことは多分ずうっとなくなるのだということに、私は結婚してから気付いた。

今や私は、そんな形の幸福を、与える側になっている。娘も大きくなってそうと気付くときがくるのだろうか。思い出す香りは、どんな料理だろう。

今夕、家路を急ぎながらあの頃のような光景を夢想してみたけれど、たどり着いた我が家は当然真っ暗だった。そして、私は急いで娘や夫のためにお米を研ぎ始めたのだった。

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雪・雪・雪

東京は昨日に引き続き今夜も雨が降っている。ひところはあんなに冷え込んでいたのに、今は気温が上がって間違っても雪にはなりそうにない。

娘は「雪になったらいいのになあ」とよくつぶやく。でも、その度私は「ああ、この子は本当に東京育ちなんだな」と思う。雪深い地方に住む子供たちは、多分そんなことを思ってなどいない。初冬、ちらちら舞い降りる初雪にちょっと喜んではみるものの、「とうとう来たか」と身構えもするのだ。高校生のとき、赴任したばかりの先生が大はしゃぎで「みなさーん、雪よ! 雪!」と窓辺に走り寄るのを、生徒みんなであんぐりと見ていた記憶がある。あの先生は静岡育ちだった。

子供の頃、雪が積もった朝は外から聞こえる音でそれと知った。しゃんしゃんしゃん・・・。まるでそりを引いたトナカイが鳴らす鈴のような音が通りから響いてくる。車のタイヤに巻くチェーンの音だ。そして、がしゃっがしゃっと雪かきをするスコップの音。ごうごうと鳴る除雪車の音。雪が降っている夜は吸い込まれるように静かなのに、朝になると様々な音で騒がしいのだった。

ちっちゃなかまくらや雪だるまを作ったり、ミニスキーで遊んだり、雪合戦をしたり。それらは子供にとって楽しかった。でも、あんまり幼かった私は、危険だというのでぼさぼさと雪の降っているときは外出禁止だった。そして、そういう日のほうがはるかに多かった。道路の端はどぶが雪に隠れていて危ないので真ん中を歩くように言われ、屋根の雪が落ちてくるのでその下は絶対に歩かないようにときつく言い渡された。

雪が降り続いていると、両親がそろそろ雪下ろしをするべきかどうか話し合っていた。例え夜中でも。そんな時の「みしっみしっ」という音は心底怖かった。我が家はぼろやだったから、放っておけば家がつぶれてしまう。両親の実家は遠く離れていたが、それが理由でお正月に家を空けるのは無理だった。いや、家がつぶれないまでも、ちょっと気を抜くとどこかの戸が開かなくなってしまう。そして、一度開かなくなってしまうと、どんなに雪下ろしをしても春までは元に戻らなくなるのだ。

今は屋根にも工夫がされ、道路には消雪パイプが設置、スタッドレスタイヤも随分進化して、私の子供の頃とでは状況が随分変わったと思う。それでも、テレビのニュースで映される映像は狭い路地に除雪車が入れず、人がせっせと雪かきをしている。「もう、限界・・」そう言って涙ぐむお年寄りに、あの頃見上げていたねずみ色の空を思い出して、思わずもらい泣きしそうになってしまう。

雨は今、それらの土地にも降っている。今度はなだれの心配だ。私は都会に居て何をすることも出来ない。ただただ、祈っているばかりである。

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大人と子供の境目

私がよく行くスーパーには薬局コーナーがある。普段あまりそこで買い物をすることはないのだけれど、「今年こそはダイエットするぞ」と心に決めていた私は、「なんかいいものないかなー」と薬棚を見て回ってみた(薬に頼ろうとする時点で、既に落伍者だけど)。そして、沢山のダイエット商品以外にもビタミン剤などの健康錠剤が何種類も売られていることに気付いた。いつからこんなに多くなったんだろう。それとも以前からこんな風だったろうか?

さらに奥には、冷蔵庫になった棚に沢山の栄養ドリンクが大切に売られていた。どぎついパッケージの色にくらくらしてしまうが、それが自分を元気にしてくれるということなのかもしれない。そして、元気にしてもらいたい人は多いのだろう。だからこそ、こんなに沢山の種類が売られているのだ。

それにしても、と思う。野菜ではなく錠剤でビタミンを摂り、疲れた身体を栄養ドリンクで誤魔化して仕事する。なんて日本人は不健康なことか。

ため息をつきつつ棚を見つめていた私だったが、実はもっとすごいものを見つけてしまった。子供用リ○ビタン。ユン○ルJr.などなど・・。そう、子供用のドリンク剤だ。

調べてみたらもう随分前から商品化されていたらしい。病後で弱っているときの栄養補給だとか、受験勉強などで頑張りたいときに飲むものだそうだ。大人用と違ってカフェインやアルコールが抜いてある。でも、私にはどうも子供がそんなもので元気になるとは思えない。お母さん手作りの卵雑炊のほうがよっぽど効果があると思ってしまう。

ついこの間も子供用化粧品について書いたけれど、本当に近頃は商品の大人と子供の境目がなくなってきている気がして仕方ない。いずれは子供用のネイルサロンやエステ、果ては銀行や証券会社まで現れるかもしれない。でも、大人と同じように扱われ、それで子供たちは幸せなんだろうか。「大人ってずるい」「早く自分も大人になりたい」とそう思ってこそ、今とは違う自分を思い浮かべて頑張るんじゃないだろうか。

子供が大人化しているのか。それとも大人が子供化しているのか。いづれにせよ、栄養ドリンクを飲みつつ受験勉強をする小学生は幸福には思えないけどなあと、その姿を想像しては何やら落ち着かない気持ちになるのだった。

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初夢の意味

うちの娘は大晦日をとても楽しみにしている。年に一度夜更かしの出来る日。家族みんなで紅白を見ながら、みかんとかポテトチップスを食べる。親のほうはもうとっくに紅白を見るつもりもなくなっているし(だからと言って格闘技も見ないが)、娘も別に目当ての歌手がいるわけでもないのだけれど、やっぱり紅白というお祭りは特別だと思っているらしい。眠い目をこすりつつ、それでも懸命に最後まで起きていた。そうやって家族で楽しく年越しを迎え、みんななんとなく華やいだ気分で床に入ったのだった。

初夢と呼ぶのは元旦の夜と、二日の夜との二つの説があるらしい。でも、本当は、年を越したその夜にみる夢が今年最初のものになるはずだと思う。私にとってのその初夢。それは決して気持ちのよいものではなかった。

夢の中で私は夫とどこかのバーで飲んでいた。娘を自宅に置いたまま。ちなみに私はほとんどお酒を飲むことはない。それに、夜はおろか、昼でも、娘一人を置いて夫婦で出かけたこともない。

夢の中の私も、「なんでこんなことをしてるんだろう」と思っていた。なんだか不安で、やっぱり帰ろうと思い、念のため自宅に電話を入れた。・・が、誰も出ない。おかしい。夜はまだそんなに遅くない。娘が起きているはずの時間だ。何かあったんだろうか。心臓がばくばくと音をたてる。

「すぐにでも帰らなくちゃ」あせる気持ちを抑えつつ電話を切る。と、その同じ携帯電話から呼び出し音が響いてきた。娘からだろうか? 慌てて受話器を耳にあてると、男の声が「もしもし」と言った。

この後、もし「娘さんは預かっている」なんていうのが聞こえてきたなら、「ああ、最近、その手の事件が多くて、潜在的に恐怖を感じていたんだろうな」と思っただろう。でも、男の言葉は違った。

「いいか? 忠告しておくからな・・・鍵を持っているとは言っても、鍵を開けるのには時間がかかるんだからな」そして電話が切れた。次の瞬間、娘が一人で家の鍵を開けようとしているランドセルを背負った後姿が頭に浮かび、寝汗をじっとりかいて目が覚めた。

暗い寝床の中で、私はその言葉を反芻していた。あの言葉の意味していたものはなんだろう。小学生が一人で家の鍵を開けている瞬間、子供は無防備になる。今まで深く考えてこなかったのだけれど、確かにとても危険だ。夢の電話はまさに「忠告」してくれたことになる。

なんであんな夢を新年早々みたのかは分からない。それでも、こういう世の中では色々な不安がいつ身近に起こるか分からない。その辺が悲しいところだ。もう一度寝なおした翌朝、家族ででかけた初詣では、「神様、娘をお守りください。そして、私も気をつけます」といつもより念入りにお参りしたのだった。

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リアルとフィクションの間

初笑いはブログだった。「今流行りのブログをはじめました」と書かれた友人からの年賀状。どれどれとのぞいた先(ここ)の文章は彼女のキャラクターそのもので、その情景が思い浮かぶだけに笑いがこみあげて仕方がなかった。本人を知ると言うことは、ブログの見え方も変えるのかもしれないと、改めて思ってしまった。

ブログを始めて2年近く。その前からHPも作っていたし、さらにはパソコン通信もちょこちょこと利用してきた。それらを通じて知り合い、その後もずっとお付き合いし続けている方もいる。でも、ネット上の自分とリアルな自分との違いが今でも気恥ずかしくて仕方がない。ましてやブログではある一定のイメージが出来上がってしまっていることを自覚しているから、基本的に既知の友人には知らせていないし、オフ会も避けてきた。どちらにも、「イメージと違った」と言われてしまうのが怖かったのだ。

せっかく知った友人のブログ。この機会だからブログ間の交流をと思っても、そんな消極的な気持ちがブレーキをかける。ううむ。どうしよう。でも、ただ彼女のブログをのぞいているだけなのも気が引ける。どうしたものか・・。

あれこれと悩むこと半日。で、結論。そろそろ引っ込み思案な自分を変えてみるのも悪くないかもしれない。そっと彼女のブログにトラックバックしてみよう。そして、一体私が誰なのか、彼女にこっそり予想してもらおう(分かったらメールしてね)。

それから、今年はリアルとフィクションの間を埋める努力もしてみよう。機会があれば、オフ会参加もあり得るかも。

というわけで、今年、Kakoはほんの少しイメージが変わるかもしれません(笑)。そんな自分を楽しもうと思いますので、どうぞ皆様、今年もよろしくお願いいたします。

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今年の終わりに

今年ももう間もなく暮れようとしています。みなさんにとって2005年はどんな年だったでしょうか。

私には、「生きるということ」について考えさせられた一年でした。

今年、私は何人かの身近な人を見送りました。彼らは皆若く、そして全て突然の出来事でした。生きることとそうでないことは紙一重で、それなのにそれはとても大きな違いで、その前に人はとても無力なのだと知ったのでした。それでも私達は生きています。日々は続いています。

来年、私は「どう生きていくのか」を考える年にしたいなあと思っています。

今年、コメントやトラバックいただいた方、あるいはメール等で励ましてくださった方、そして密かに読んでいてくださった方。皆様、本当にどうもありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。

どうぞよいお年をお迎えください。

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挑戦者たち

年末。大掃除だおせち作りだと忙しいはずなのに、つい録画していた「プロジェクトX最終回」を家族で見てしまった。大げさとも言える演出が気にはなるけれど、やっぱり一生懸命頑張っている人を見るのは気持ちいいし、自分自身の経験になぞらえ、感動させられる。それがこの番組の人気の秘密だったんだろう。

新製品開発プロジェクト。難関工事プロジェクト・・。数々の試練を乗り越えて挑む男たち。話の内容は既に知っているにもかかわらず私はついうるうるとし、娘から覗き込まれて「お母さん、泣いてるぅー」などと言わてしまう。いまやまっとうな専業主婦のつもりなのに、これでは居酒屋でプロジェクトXを熱く語る「X親父」と同じだ。

私もメーカーの技術者のはしくれだったことがあるから、特にそういう関連の話には弱いのだ。ちまちまと実験やら失敗やらを繰り返しながら、それでも最後に製品が出荷されたときの喜びを知っているからだろう。その瞬間は「会社に貢献した」なんて意識はなく、ただひたすら達成感に浸っていた覚えがある。

ましてや、その作品が何らかの評価を受けたりすると本当にうれしい。実際、ある雑誌で私が一部の設計を担当した製品が紹介されていたことがあった。特定の人しか利用しないと思われるその製品は出荷台数も少なく、ヒットするはずがない。でも、その記事の中で製品を片手にした著名人は、「これ、便利なんで、手放せないんですよ」とにっこり微笑んでいた。その写真を見ながら、「人が幸福を感じるのはこういう時なのかな」と思った。

実は私以上に夫が「プロジェクトX」のファンである。実際は仕事が忙しくて放送を見ることが出来たのは数えるほどしかなかったのだけれど、いつかプロジェクトXに出るのが夢だったらしい。「残念だねー。出演する前に番組が終わっちゃって」そう私が水を向けると、「あ、あれは9割以上冗談だよぉ」と苦笑した。が、私は半分ぐらいは本気だったんじゃないかとにらんでいる。そしてそれは「成功したい」ということではなく、一つことを成し遂げた人々のあの顔に、夫もまた成りたいということではないかと思う。

「幸せだった」そう言える人生にするには、今、自分は何をするべきなんだろう。番組を見ながら感動しつつも、少し、あせりのようなものも感じた年の瀬だった。

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お詫び

少々体調を崩しまして(単なる食べ過ぎです)、このところ更新が途絶えておりました。・・が、明日からはネットから少々遠ざかります。コメントへのお返事等しばらく出来ませんので、申し訳ありません。

皆様、素敵なクリスマスをお迎えください。

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若い頃

このところ色々なことがあったせいなのか、会いたい人に「いつか会える」と思うのはもうやめて、「会いたい時は会おう」と思うようになってきていた。そう心に決めて旧知の