親父の一番長い日

いつも拝見している惑さんの「わくわく日記」に、娘さんのとてもおめでたい記事がアップされていた(こちら)。お祝いコメントを書き始めてみたものの、「それならばいっそ」と私自身の思い出話で記事を一つかかせていただこうと思う。

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お正月気分もすっかり抜け、淡々とした日常が戻ってきた。玄関ドアにつけてあった我が家のリース風お正月飾りももう数日前に取り外した。最近は色々なタイプのお正月飾りを見かけるが、以前うちの実家で使っていたのは、いつも多分他所のものと同じ、プラスチックの飾りのついた極々平凡なやつだったと思う。

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そういえば

福岡の中学生が自殺した件で、いじめのもともとの原因は教師の言動にあったというのが随分と報道されている。だからといって、実際に陰湿ないじめをしていた生徒たちの罪が軽くなるわけでもないし、責任をその教師だけに押し付けるものではないと思うが、先生方には自分がいじめの火種になるかもしれないことをもっと自覚してもらいたいと思う。そういえば、私だって、そうなりかねなかったんだなと改めて思い出した。

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オランダの家主さん

夜、テレビを見ていたら、CMでゴッホの絵が映し出されていた。「café de nui(夜のカフェテラス)」。闇夜の青に、カフェの黄色い明かりが印象的な絵だ。この絵は私にとって思い出深い。二年間暮らしたオランダにつながるのだ。

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お寿司の夜

昨日はひなまつり。例年通りにお雛様を飾り、五目ちらしと潮汁を食べた。給食のメニューも同じだったので「別なのにしようか?」と娘に聞いたのだけど、「やっぱり五目ちらしがいい! お寿司大好きだもん!」とのこと。夫の好物もお寿司。好みも遺伝するらしい。

私はどうだったかなと考えると、別に好きでもなんでもなかった。いや、どちらかというと苦手だった。若い人は知らないかもしれないけれど、昔流行ったアニメに「ど根性ガエル」というのがあって、この主人公のヒロシというのが大の寿司好き。ハッピーエンドの回にはたいていお寿司を食べるシーンになるので、その度「そんなのうそだー」と思っていた。でも、夫にそう話すと、「それはお寿司を食べる機会が少なかったせいじゃないか」と言われてしまった。

確かに、グルメにお金を惜しまない夫の実家と違い、我が家はほとんど外食をすることがなかった。お寿司というのは自分で作る手巻き寿司か母の握ったもので、「玉子」「まぐろ」「いか」などとその度リクエストを出しては作ってもらっていた。まあ、それも贅沢といえばそうなのだが、まぐろが続くと父が「子どもは玉子だろ! 後は納豆!」などとダメだしするので、ちっともお好み寿司にはならないのだった。

そんな父が、多分一度だけきちんとしたお寿司屋さんに子供の私を連れて行ってくれたことがある。小学一年生の時だ。

東京で親戚の不幸があった。当時、私の住んでいた町からはたどり着くのに何時間もかっていたと思う。寝台車で一晩ゆられるのだ。用事を済ませて帰ってくるまでに、おそらく一週間はかかってしまう。今は「家族旅行だから」と学校を休んだりする人も少なくないらしいけれど、あの頃はそういう雰囲気が全然なかった。母は小学生の私を連れて行くのをあきらめ、私は父と留守番をすることになった。

たまたまその時は家と父の職場とが続きになっていたから、放課後も不安はなかった。父は料理もろくにできない人だったけれど、それでもなんとか私に食べさせてくれた。が、父の仕事には飲み会が多い。ある夜、どうしても外せない会食が入り、父は仕方がないと私を連れて参加した。アグネス論争なんかのずっと前のことだ。他の人達が正直どう思っていたのか分からないが、それでも、「子連れ狼ですみません」と謝る父に皆は笑顔で応え、私にやさしく接してくれた。

帰り道、ほとんど何も食べられなかった私を、父はお寿司屋さんに連れて行ってくれた。「好きなものを食べていいよ」と言われても思いつくものがなかった私は「納豆寿司」と答え、父はメニューにはないそれを、頼んでくれた。

気付いたとき、私は父に背負われていた。二つ下に妹がいるからだろうか。このとき以外、父に背負われた記憶がない。私は黙って父の背で揺られていた。あの夜のことを思い出すととても懐かしく優しい気持ちになる。でも、父に面と向かうと、そんなことはどこかにすっとんでしまう私なのだった。

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母娘の珍道中

高校三年の1月末。私は水筒を肩から斜めにぶらさげて美容院にいた。預けるとき美容師さんは水筒を見ながら「・・遠足?」と尋ねてきた。外は最高気温でも零度に届いていない。私はぶんぶんと首を振った。私が行ったのは楽しい遠足でもなんでもない。当時は呼び名が違ったが、大学入試センター試験の会場だった。

2月に入った。今、東京とは中学受験の真っ最中である。大学の入学試験もこれからが本番だ。当事者には一生を左右する大きな出来事。でも、関係ない人にはまーったく関係ないのだ。Poohpapaさんのこの記事を見て、そんなことを思い出した。

記事の中の出来事に対して私はその是非を云々するつもりはないけれど、ちょっと耳の痛い話もあった。Poohpapaさんは「18歳にもなったら、受験に親の付き添いなんかいらない!」と仰っている。が、恥ずかしながら私の受験には母が付き添ってくれていたのだった。

でも、でも、と反論させていただくと、私だって地方の試験には当然一人ででかけた。が、東京は別である。田舎育ちの私には東京は魑魅魍魎が住む魔境みたいなものだった。どこで悪い人につかまって売り飛ばされるか分からない。それに、首都圏の路線図。あれは何だろう。電車なんて遠くへ行くときに乗るものだ。なのに、こんなにこんがらがっていて、ちっともわけが分からない。乗換えなんてどうやってするんだろう。不安にかられた私に、2年東京に住んだことのある母は「任せて!」と胸を張った。

母は頼もしかった。一生懸命使い捨てカイロを荷物につめる私に「東京は本当に暖かいから、そんなものはいらないよ」と言った。それから、分厚いコートも、普通の手袋の下にする薄い手袋も、何にもいらないと言った。少し疑ってカイロは隠し持って行ったけれど、駅から外へ出て母の言葉が正しかったことを知った。二月だというのに、手袋もいらない暖かさだ。「すごい、やっぱり東京って遠くの街なんだ・・」そう思った(実はその日東京にが雪がちらついていて、その冬一番の寒さだったのだけど)。

が、ここまでだった。母は路線図を手に呆然としていた。「都電がない・・」母の若い頃、地下鉄は地上を走る都電だったという。「通っている場所は同じみたいだから大丈夫だと思っていたけど、やっぱり自信がない・・」仕方がないので、地上を走る電車だけを使うことになってしまった。今思えばものすごく間抜けだ。

東京なんて20年も経てばすっかり変わる。それに自分が住んでいるあたり以外は分かっていないものである。そうして、母はとんでもない方向音痴だ。気付けば先を歩くのは私で、母は後ろからついてくる。たまに私より先に店から歩き出せば、来た方向と逆のほうへ向かってしまう。「違う、違う、こっち」母を呼び止めながら、これではどちらが引率しているか分からないじゃないかと、苦笑してしまった。

それでも、夜、宿では一つの部屋で布団を並べて横になった。母とそんな風に二人で寝たことなんてそれまで記憶になかった。遠くにグループで来たらしい受験生たちの大騒ぎする声を聞きながら、私は母とぼそぼそ話をした。もう二ヶ月もすれば、どう転んでも私は家を出る。母がどういう気持ちでいたのかは分からないが、それでも、私にとっては特別な夜だった。

今、こうして東京に住むようになって、そのときの宿のそばに行く時がほんの時たまある。夫の運転で娘と一緒にそこを通りながら、「こういう今の自分を、あの頃はちっとも想像なんて出来なかったなあ」と、ちょっとだけ感傷に浸るのである。

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プレゼント

週末、娘はせっせとクリスマスプレゼントを作っていた。今週クラスのクリスマス会があって、それぞれ手作りのプレゼントを用意しなければならなかったのだ。娘は手先が器用だし、こういうことが大好きなので、苦労するというよりは楽しんでいたと言ったほうがいい。出来上がったマスコットは初めてのお裁縫にしては上出来で、本人も大満足の様子だった。その姿を眺めながら、私も同じように手作りプレゼントを作ったことを思い出した。

小学5年生のクリスマス会。悩みに悩んだ私は翌年のカレンダーを作ることにした。12か月分日付を書き入れ、雑誌や広告から切り抜いた写真を貼り、自分で絵を書き加えた。凝ったせいで、仕上がったのはかなり遅い時間。母には、「そこまでしなくても」とあきれられたが、本人としては大傑作のつもりだった。

翌日、プレゼント交換は大きな輪になって回した。クリスマスソングに合わせてプレゼントを次々手渡しながら、皆、誰のどんなプレゼントがあたるだろうとどきどきしていたに違いなかった。そうして先生がカセットテープの音を止めたとき、私の手の上には新聞紙のかたまりがあった。

がさごそと皆がプレゼントを開ける。私もそっと新聞紙を広げる。でも、なかなか中身にたどり着かない。何重にもなっているのだ。根気よく一枚一枚開けていく。その分だけ期待と失望が強くなっていく。そして、最後にようやく現れたのは、プラスチック製の小さな竹とんぼだった。

先生は確かに「手作りのものを用意しましょう」と言っていた。周りを見回しても、どれもが一生懸命作られたものだった。でも、手元にある竹とんぼは、何かのおまけのようにしか見えなかった。私は、昨夜自分が頑張っていたことを思い出すとなんだか物悲しくて、竹とんぼをすぐに新聞紙に包みなおして顔をあげた。

こういうプレゼント交換は、人数をたどれば一体誰が用意したものなのかが分かる。私はつい目で数を追った。と、その先に、おずおずと私を見つめる視線があった。いつも大人しく、声すら聞いたことのない男の子が、私と目が合うなり慌てて目をふせた。

今なら分かる。きっと彼は何を作ったらいいのか全然分からなかったのだ。だから、自分がもともと持っていた竹とんぼを、それでも手作りに見えるように、ナイフであちこち傷をつけたのだ。でも、心配で心配で、プレゼントを回しながらも、どこへそれがたどり着くのかずっと見守っていたのだろう。

でも、あの時、私は、皆が互いにプレゼントを見せ合う中で、じっと新聞紙の塊を見つめているだけだった。その姿をあの男の子はどういう気持ちで見ていたんだろう。その日から私は、一度も彼と口をきく機会はなかった。その後すぐに始まった冬休み中に、私は遠くの町に転校したのだった。

クリスマス会当日、娘はプレゼント交換でかわいらしいオーナメントをもらってきた。気に入ったらしく、早速自分のクリスマスツリーに飾っていた。赤い靴下の飾りが、他のオーナメントと一緒にゆれている。

それを見ながら思う。私も、あの時あの竹とんぼを、あれこれ考えずに飛ばしてみればよかったのに、と。

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マンボウの怪

私が小学五年生のとき、図工で木工製作をした。板を形どおりに切り抜き、彫刻刀で模様をつけるというもので、課題は「魚」だった。

人は魚と聞くと何を思い描くか。目があって、うろこがあって、背びれがあって・・。山の中の学校だったから、男の子の中にはやまめやあゆまでしっかり分かっている子もいたけれど、別に釣りに興味のない女の子だったりしたら想像するものは同じだ。教室のあちらこちらで出来上がっていく下書きは、どれも似たようなものになってしまった。

あせったのは先生だろう。「ほら、魚も色々あるでしょう? こういう魚ばかりじゃないし。体の大きさとか、模様とか違うし。・・・そうだ、図書室から図鑑を持ってきましょう。その中から好きな魚を選んだらどう?」かくして、知識のない私達は図鑑に頼ることになった。

確かに、図鑑の中には私たちの想像以上の色んな魚がいた。深海魚なんて、頭にランプまでつけている。皆はそれぞれ好みの魚を見つけ出し、ようやく、それぞれ個性的なものになり始めていた。

私が目をつけたのは「マンボウ」だった。ずんぐりむっくりした体。申し訳程度についた尾びれ。こんな魚は見たことがない! 私は大喜びでその絵を書き写し、得意満面で先生に見てもらいに行った。が、先生は見るなりため息をついた。そして言った。「ちゃんと図鑑見た?」見た。きちんと見た。見たとおりに書いたはずだ。でも先生は言う。「ここに体長が書いてあるよね」じっと見ると「体長2メートル以上」と書いてある。「これはどういうことかな?」

先生の見立てはこうだ。こんな形の魚はいるはずがない。この申し訳程度に書いてある尾びれは省略されているものに違いない。本当は鳥の尾長のように、尾びれが長々と続いて2メートルにまでなっているのだ、と。ふむ、そうかあ、そう言われればそんな気もする。でも、もう変わった形の魚はみんなに取られてしまっていた。仕方がないとあきらめた私は、魚の模様をトランプのスートなんかにして、お茶を濁したのだった。

10年後のことだ。私は彼氏と初デートで水族館へ出かけ、本物のマンボウを目の前にして愕然としていた。水槽の中では、まるでぶった切ったような妙な形の大きな魚が、ゆらりゆらり・・。「先生のうそつき・・」そう、図鑑の絵のままそこに存在していたのだった。

ちなみに今でもその先生とは年賀状をやりとりしている。でも、先生への年賀状を前にする度、マンボウの話を書こうかどうしようか迷うのである。

(マンボウの形なんて忘れてしまった!という方はこちらをどうぞ)

追記

どの言葉に反応されているのか、この記事へはトラックバックスパムが絶えないため、トラックバックを受付不可にします。

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いつも読ませていただいているporonさんのブログで夢の出来事が書かれていた。Poronさんの夢はいつもリアルで、そのせいで心臓に悪いようなこともあるらしい。書かれたお話は「ゆ、夢でよかったですね」というものだが(いや、あり得ないと思うけれど)、それを読ませていただきながら、ほんの数年前に自分がみた夢を思い出した。

私は自分でもしつこい方なんだと思う。一度人を好きになると、ずいぶん長い間その気持ちが変わらないところがある。中学のとき片思いだった男の子のことは、特にそうだった。

冷静に考えれば変なのだ。楽しくおしゃべりしたのは席が隣になった数ヶ月だけで、彼のことなんて本当は何にも分っていないはず。それなのに、そのほんの一瞬一瞬を寄せ集めて、いつまでも反芻しているのだ。多分、それはかなり美化されていて、彼のことを理想像にまつりあげているのだと思う。それでも、それこそがいわゆる「恋」ってやつなのかもしれない。

わずかに心に残っている思い出たちはいつまでも私の夢に出てきて、その度私は「ええっ? 私って彼のこと、まだ好きなの?」と驚いてしまう。それが結婚して、子供が生まれてからさえ一月に一度は続いていたのだから、驚きを通り越し、自分でもあきれる。

その夜の夢もそうだった。私は夢の中でセーラー服を着た中学生で、彼もまた学ラン姿だった。いつものように霞がかった思い出がレコードのように再生される。

ただ、展開がいつもと違った。いつもならただ見つめるだけでどきどきしていたのに、その日は何故か彼が私に優しく語りかけてきて私の肩を抱いたのだった。そして、いつのまにか私も彼も実年齢の姿になっている。その姿だからか、私は即座に夫と娘の存在を思い出した。でも、私は動かない。じっと彼の鼓動を聞いている。

私は分っていたのだ。「こんなこと、ありえない」と。「どうせ夢なんだから、今は思いっきりこのままでいよう。どうせ、どうせ、夢だから」そう言い聞かせている自分がとってもいじらしくて、涙が出てきた。後から後から、とめどなく。

気づけば私はベッドの上で号泣していた。横で寝ていたはずの夫が驚いて目を覚ます。「どうしたの?」と尋ねられ、いつもはなんでも夫に話す私が、「怖い夢をみたから」としか答えられなかった。

その日を境に、彼の夢をみることはほとんど無くなった。そして、夢の中で泣いたのも、その一度きりである。

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高校野球

私が子供の頃、東北・北海道代表の高校野球チームは弱かった。私は東北の町を転々としていたが、応援するとなればやはりそのとき住んでいた県代表校だ。でも、大抵一回戦で負けてしまう。それで、新聞の組み合わせ表を見ては「まだ東北で残っているところはないかな?」と探し、今度はそこを応援する。それでも、やはり二回戦ぐらいで消えてしまう。そうなると、もう高校野球は自分とは直接関係なくなってしまう気がしてしまい、他県の球児たちの熱闘を前に、なんだか寂しい気持ちになったものだった。

そりゃあ、仕方ない、と思っていた。北国は冬、雪に閉ざされてしまう。練習量が全然違う。雪の上で守備練習は出来ない。それに、夏の暑さへの慣れが違う。テレビで放映されている甲子園の気温といったら、東北では滅多にないような高さだ。春の選抜ならともかく、夏の選手権大会でそんなところへ突然行ったら、いくら練習を沢山している人たちだってばててしまう。どだい南の人たちと同じ土俵に上がろうというのが無理なんだ。ハンディをもらわなくちゃおかしい!! 

そんなことをずっと思っていたある年の春、選抜大会に私の住んでいた県の高校が代表に選ばれた。O高校だ。この高校にはK君という優秀なピッチャーがいたが、そこは東北の高校。正直言っていつも通りの展開しか予想していなかった。

ところが、である。O高校が予想に反して勝ち進んでいくのだ。1回戦、二回戦、そして、準々決勝。そうか、郷里のチームが勝ち続けると、毎日応援できるんだ。初めて知ったことだった。

私だけではない。県内の大騒ぎといったらなかった。何しろ、急遽準決勝が民放で放映されたぐらいだったのだから。結果は残念ながら準決勝で敗退。それでも、やはり快挙には変わらなかった。私たちはしばらく興奮が冷めなかったし、県内でのK君人気はすごかった。少なくとも、私のいた女子高では。K君のサインをもらおうというので、春の高校総体県大会開会式では、O高校のプラカードを持ちたいという希望者ばかりだったのを覚えている。(実際は雨が降ってしまい、開会式は縮小されてしまった・・)

あれがきっかけだったのかどうか分らないが、少しずつ東北・北海道勢も強くなり、優勝旗が津軽海峡を渡るまでになった。そして、今夏はその優勝旗が再度北海道へと受け継がれた。屋内グラウンドがあるなど特殊な環境なのかもしれないけれど、やはり、乗り越えてきたものは大きいと思う。素直に祝福してあげたい。

まあ、それにしても、テレビに映った駒大苫小牧のナインの様子にはちょっと隔世の感だった。今の高校生は男の子、しかも、野球部員まで眉毛を整えるのかと驚いてしまう辺り、私もずいぶんおばさんになったものだ。

ちなみに、O高校、準決勝に勝って決勝に進んでいれば、桑田、清原のいるPLが相手だった。あの頃は彼らも、私も、若かった。

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ロブスターの彼

うちの娘は早く寝るのであまりテレビを見ないのだが、どうも「お金持ちの生活紹介」的なものが好きらしい。豪華なお住まいとか、信じられないお金の使い方とか、そういったものを見せてくれる、あれである。

だからといって、娘は別に「自分がそうしたい」というわけではないようだ。「お金持ち」の生活は素っ頓狂だ。信じられないくらい贅をつくした調度品や、入りきらないドレスたちは現実離れしていて、あんまり実感がわかない。そんなものを見せられてももはや「うらやましい」という気にすらならず、ただただ「ほー」とか、「へー」とか言うばかりなのだ。

学生時代の同級生にも根っからのお坊ちゃまがいた。本人はそう言われたくないのかもしれないけれど、身にまとった雰囲気は隠せない。実際、彼の立派な実家を訪ねた友人によると、お手伝いさんが「坊ちゃま」と呼んでいたらしい。

車といえば親のお古を譲ってもらうぐらいがせいぜいのところ、彼はぴっかぴかの新車を買ってもらっていた。なのに、運転が下手でしょっちゅうぶつけるので、「俺が代わりに乗ってやるのに!」とみんなからブーイングの嵐だった。もちろん、彼はそんなこと気にしていない。そして、快くみんなに貸してくれる。

住んでいたのも下宿やアパートなんかではない。「税金対策だから」と親が買ってくれたマンションだ。あんまり立派なところなので、友人たちも最初はおそるおそる訪ねたらしい。まあ、間もなくみんなのたまり場になったのだったが。

それというのも彼が部屋によんでくれるからだ。彼のお母さんが時折食材を送ってくるのだが、それが半端な量ではない。「皆さんにも食べていただきなさい」ということなんだろうが、高級牛肉が何キロも届いたりする。当然、人を何人も呼び、すき焼きパーティーをやることになる。私にも電話をくれたらしいが、あいにく留守で食べ損ねてしまった。あの当時の食生活を思えば、すっごくもったいないことをしたものだ。

またあるとき送られてきたのは活きたロブスターだった。おがくずの中で仮死状態にされたロブスターは、きっと刺身でもおいしく食べることが出来ただろう。でも、彼はそうしなかった。「殺生は嫌だから」という理由で、ロブスターをバスルームの浴槽の中に放したのである! かわいそうに、沢山のロブスターたちは、「おいしい」と言ってもらえないまま数日のうちにお風呂の中で息絶えた。以来、我が家では彼を「ロブスターの彼」と呼ぶ。

「ロブスターの彼」は今頃どうしているんだろう。相変わらずおっとりと皆の話にうなずいているのだろうか。彼とはその後なんの縁もないのだけれど、レストランのメニューでロブスターを見かけるたび、私の中の「お金持ち代表」だった彼を思い出すのである。

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あの頃はよかった

飛行機での時間のつぶし方は映画が定番かもしれないが、私はオーディオプログラムを聞いていることも多い。チャンネルのほとんどは音楽だが、実は落語などの話芸プログラムもあって、これが結構面白かったりする。先日はこの中に「江戸売り声」という漫談があった。

宮田章司さんというその芸人さんによると、「今は不便な世の中」と言えるらしい。何でも手に入るように見えて、コンビニやスーパーにはこちらから出かけていかなければいけない。その点、昔はよかった。色んなものをそれ特有の売り声で売りに来てくれる、いわばデリバリーが発達していたというのである。

お豆腐、納豆、しじみなどの日常の食品の他、よい初夢をみるための宝船の絵など、その季節ならではのものを、威勢のよい、あるいはゆったりした声で売りに来る。多分、その声で時間を知り、季節が巡ってきたことを感じていたのだろうと思う。

私が子供のころも、夏の昼下がりに昼寝をしていると通りから「金魚ぉーえ、金魚ぉー」と声が聞こえてきた。ああ、夏だなと思い、水の中を泳ぐ金魚を思い浮かべて涼をとった。いや、もうあの当時には金魚売りの姿も消えていて、実際に私が経験したことではないのかもしれない。それでも、夏のひとつの風景として、何やら甘酸っぱい思いと一緒に自分の中に残っているのだ。

夏という季節に、そういったものを思い起こすのは私だけではないらしい。昨日、NHKのニュースの中の特集でも、失われてしまった「日本の夏」を懐かしんでいた。通りに響くラジオ体操の音楽。虫網を持って通りを行く子供たち。井戸水で冷やされた大きなスイカ。風に揺れる江戸風鈴。その一つ一つの映像が、自分がいつかどこかで見た光景に重なる。

日本には昭和30年代の町並みを再現したテーマパークがいくつかある。その時代を経験した年代の方ばかりでなく、若い人もまた「懐かしい」という感覚で見るらしい。あの風景はもはや自分の子供のころを懐かしむものではなく、日本人共通の記憶を辿るものになっているということなのだろう。

「懐かしい」と連呼しながら、最近の私たちは振り返ることが増えているのだろうか。これから先、どれほど発展して素晴らしい未来が待っているかという期待があったのなら、後ろを振り向く暇などないだろうに。

振り返ってばかりでは前に進めないのかもしれないなあと思いつつ、それでも、こんな売り声が街に響いていた時代はやっぱりもっとゆったり時間が流れていたんだろうと、失われたものの大きさをつい考えてしまうのだった。

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思いこみ

この週末、娘を連れて実家に行ってきた。車で一時間強のところにあるので簡単に帰ることができるが、いつでも行けると思うから滞在はいつもほんの少しだ。それでも、今回は嫌な顔をする母を後目に、前から気になっていた、クロゼットの奥の段ボール箱を引っ張り出してみた。

私の父は転勤族だったため、私が家を出た後にも数回の引っ越しをしている。その度に荷造り、荷ほどきを繰り返すわけだが、私が残した物は段ボールにしまいこまれ、ブラックボックスと化して封も開けられないまま移動させられていたのだった。多分、詰め込んだはずの私でさえも、中に何が入っているのか見当がつかない。

少しかびくさくなった段ボールの中からは本当にありとあらゆるものが出てきた。母手作りの袋に入ったハーモニカ、小学4年で購入した教材用のそろばん、端が心持ち黄色くなった通知票。我が家の娘(9歳)はそれらを見ては歓声をあげ、「これ、もらう!」とよりわけている。が、私は、それらよりも、下の方に埋もれていた沢山の作文に目が釘付けになった。

読み進むと、小学生だけにかなり恥ずかしいものも多い。失敗を人のせいにしていたりして、性格の悪さが出ている。子どもは正直だとはいえ、「そこまで言わなくても」というのもあった。以下、小学1年生時の作文の抜粋

子どもたちのがおわってから、おかあさんたちの おゆうぎと げきが ありました。げきは、「白雪ひめ」で、おかあさんがしゅやくでした。おかあさんは、ふとっていて、すこしも きれいではありません。わたしは しんぱいになりました。もしも、きれいでなかったら、みんなに わらわれると おもったからです。

この後、舞台に現れた母がピンクのドレス(ネグリジェを改造した物。実は今だに私が持っている!)を着てとてもきれいだったのでよかったとフォローしているけれど、娘は「お母さんて、ひどいねー」と言いつつ、なんだかうれしそう。どうも、娘はそういう等身大の私の話に興味しんしんだった様子で、複雑な思いだ。

私が小学4年生の時に生まれて初めて書いた、物語らしきものも出てきた。「僕の名前はジル。」で始まる冒険物語は、主人公がイギリス生まれの設定らしい。この頃、イギリスがどういう国かなんてこと、きっとまったく分かっていなかったと思う。その男の子のお友達が女の子のアリョーシャ。一体、どこの国の名前で、何から思いついたんだろう。読むだけで我ながら恥ずかしくて赤くなる。

それと同時に、私が抱いていた私自身のイメージがかなり思いこみによるもので、実際とは違っていたことにも気付かされた。この物語も実際に書いた枚数が思っていた50枚の半分で仕方なかった。おそらく、ペラ(200字)毎にふったページ数をそのまま原稿用紙の枚数だと勘違いしていたんだろう。私は今こうして過去のことを思い出しながらブログを書いたりしているけれど、もしかしたらその多くが私の思いこみでしかなく、事実とは違うのかもしれないと思ってしまう。

子どもは別に天使じゃない。こういう想い出達をきちんと取っておいてくれた母に感謝しながらも、綺麗なままそっと思いこんでおくのも幸せなのかもしれないと、ちょっぴりほろ苦い気分になっってしまったのだった。

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持って生まれたもの

7月も三分の一が過ぎ、娘の夏休みももう間近に迫ってきた。学校からはそろそろ夏休み中の注意やら宿題の話が出ていて、なんとなくそわそわした空気になっているようだ。夏休みの宿題の中には、今回、自由研究のようなものがある。自由とはいっても、休みに入る前に自分で課題を予め決めておく。この「予め」がポイントらしい。決めたことを最後までやりぬくことが大切なんだろう。そういえば、私の中学の時にそういう宿題が出ていたことを思い出した。

その頃私が仲良くしていたのはゆうちゃんだった。ゆうちゃんは特別かわいいという感じではなかったけれど、色白で華奢な手足に穏やかな語り口。いつも背景にピンク色の霞がかかったような雰囲気で、側にいるとなんだかほっとさせられるのだった。こういう子がモテないわけがない。

ある時は男の子二人から告白されていた。二人は大親友である。「好きな女の子は誰だ?」という話をしてみたら、どちらもゆうちゃんだということがわかり、それなら抜け駆けはなし、ということで二人一緒に告白してきたのだった。ゆうちゃんは小首を傾げ、つらそうに「ごめんなさい、どちらかを選ぶなんて出来ない」と答え、二人は「なんて優しい子なんだ!」とますます恋心を募らせたようだ。でも、本当にどっちにするか迷っていたことを、私は知っている。

ゆうちゃんはそういう話も全てお母さんにしていたようだった。そうすると、「**君も、○○君も、どっちも捨てがたいわねぇで、ゆうちゃん、あなたは本当のところ、どうなの?」なんて答えていたらしい。実際、ゆうちゃんのおうちで会ったお母さんは、ゆうちゃんをそのまま大きくしたような雰囲気の人だった。なるほど、ゆうちゃんのキャラは決して彼女が無理して作り上げた物ではなく、持って生まれたものなんだと思わされた。

そのゆうちゃん、夏休みの自由研究でかなり頑張ってきた。「お父さんのお弁当作り」。分厚いノートを見せてもらって驚いた。彼女は夏休みの間中ほぼ毎日お父さんのお弁当を手作りし、そのレシピ、写真、反省点を書き込んでいたのだった。当時卵一つ割れなかった私には衝撃的ですらある。「お母さんが、きっと将来役に立つわよって言ったから・・」と頬染めるゆうちゃんは、女の私からみても「お嫁さんにしたいなあ」と思うほどだった。もちろん、これをきっかけに、男の子のファンが増えただろうことは想像に難くない。別に、本人が狙っていないところがすごい。

今、ゆうちゃんは三人のお子さんのお母さんで、年賀状の写真はあの頃のゆうちゃんのお母さんにそっくりだ。幸せなことは写真の微笑みを見れば分かる。

ところで、私の宿題のテーマはなんだったか。恥ずかしながら「小説を書くこと」だった。確か原稿用紙100枚ほどのSF小説。そして、後にライターになる悪友(今じゃ出世してたいていの書店で著書を見かけるようになった!)から、「設定が甘いね」などと評されてふくれたりしていた。当然ながら、この小説を読んで私にファンがついたなんてことは、決してないのだった。

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小さな冒険

愛知万博で「さつきとメイの家」が人気だそうだ。これは映画「となりのトトロ」に出てくる家をそのまま再現したもの。完全予約制だが、すぐに予約がいっぱいになってしまうらしい。我が家の場合愛知万博にでかける予定がないので、代わりにというわけではないが、今日「となりのトトロ」のDVDを引っ張り出してきて家族で眺めた。

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我が良き友よ

私の行きつけのパン屋さんは開店時間が早い。いや、もともとパン屋さんと言えば朝早いものだったはずで、むしろパン屋さんの王道と言っていいのかもしれない。それでも開店したばかりの店にやってくる客はとても少なく、そのせいなのか店に流れる音楽は店主の趣味に沿って懐メロオンパレード。20年ぐらい前の曲達は私にとってもうれしく、ついついパンを選ぶふりをして居座ってしまうのだ。が、今日は20年をゆうに超えた曲がかかっていた。かまやつひろしの「我が良き友よ」だ。

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バレンタインデーに

**年前のその日の私は、朝からずっと緊張していた。一旦家に帰った時には、何故だか無意識のうちに歯磨きをしていたくらいだ。リボンをかけた小箱を持って、誰とどんな風にそこへたどり着いたのか覚えていない。でも、そしてその時、空からは白い物がちらちらと舞ってきて、今思えば最高のシチュエーションだった・・。

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そんなクリスマス(3)

バブルの頃、クリスマスと言えば恋人達が高級レストランで食事をし、ホテルに泊まるのが当たり前のようになっていた。誰が言い出したんだろう。なんだってそんなことになったんだと言いながら、「やっぱりクリスマスに一人じゃ寂しい」と、クリスマス前は合コンが盛んになったし、なんとかしようと右往左往している人も少なくなかった。

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そんなクリスマス(2)

「ホワイトクリスマス」というのは、東京の人にとってあこがれかもしれない。ちらちらと降る雪は幻想的で、ロマンチックなムードを最大限盛り上げてくれる。でも、雪の多い地方の人たちにとって初雪は「とうとうきやがった」というあまり有り難くないものであることも多く、そんなに幻想は抱いていない。それでも雪が降ると地上のものを全部真っ白に覆い尽くして隠すことには変わず、「クリスマスはやっっぱり雪がないと」という気持ちも少なからずある気がする。

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そんなクリスマス(1)

クリスマスは特別な日なんだろうか。今はこうして子供が居て、娘の笑顔を見たくて色々な演出をしようと頑張るのだが、本当はクリスチャンでもない私たちにとって特別であるはずがないのは分かっている。それでも、街にはイルミネーションが点り、浮き立ったりしみじみしてしまう音楽が流れると、心がざわめく。そしてその日に起こったことはいつまでも記憶に残っていることが多いのだった。

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良い子

私の幼なじみにじゅん君という男の子がいた。写真から判断すると、赤ちゃんの頃からのつきあいだったらしい。同い年だったが、小さくて細い私とは対照的にがっしりした体つきで、運動神経は抜群だった。ただ、何故かいつも鼻をたらしていて、それを拭いてしまう袖はいつもてかてか。小学校で一緒のクラスになり、ちょっと不器用で四苦八苦している様子を見ることが増えると、私はじゅん君を「幼なじみの大切なお友達」というよりは「あーあ」と思う気持ちが強くなっていったのだった。

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住んだところパート3

得体の知れない隣人達の住むアパートを出て就職した私は、会社の女子寮に入ることになった。見た目は立派なマンションだったが、作りはあまりよくなく、私に割り当てられた一階の部屋は湿気と寒さがひどかった。

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隣は何をする人ぞ

昨日書いたように私は色々な場所に住んだが、「住んだところ」という点では学生時代が一番印象に残っている。6畳一間で、シャワーはないがトイレ風呂付き。月の賃貸料が29800円の物件だった。その後上京したとき、都心の駐車場の料金が5万円ぐらいなのをみて、「私は車よりも安いところに住んでたのか!」とショックを受けたものだ。でも、高台(山の上とも言う)だったからずっと遠くに海が見え、住み心地は悪くなかった。隣人達を除いては。

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ふるさとは

「出身はどちらですか?」と尋ねられるといつも言葉に窮してしまう。自分でもどこなのかちっとも分からない。子供の頃には父の転勤で転々とし、進学、就職、結婚と、その度に住む場所を変えた。だから、いくつかのブログで話題になっていた県民性テストをやってみたのは、一体どの県が私にとって最も近しいのかを試してみたかったからだ。

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ダメ犬なんて、いない

娘が楽しみにしている番組の一つは、テレビ東京で木曜7時半からやっている「テレビチャンピオン」。その道を究めた人が競い、チャンピオンを決めるというとてもシンプルな構成なのだが、私たちには考えられないような匠の技だったり、「よくぞここまで!」と思うほど趣味にのめりこんでいる姿が、とても魅力的に見えるらしい。今日は「ダメ犬しつけ王」の選手権。犬のしつけ訓練士さんの回だった。

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北陸での出来事

気温がぐっと下がってきている。冷え性で寒さに弱い(暑さにも弱いので単なる根性無しのような気もする)私だが、食べもののことになると話は別だ。寒くなってこそおいしいものが沢山ある。寒ブリもその一つだろう。

私は独身時代、秋に金沢から富山にかけて旅行した。二泊目が寒ブリで有名な氷見で、その旅館のおかみさんが送り出してくれるときに仰った「次は是非寒ブリの時期にいらして下さいね」という言葉が今でも気にかかって仕方がないのだった。何しろ、私は食いしん坊だ。おいしいものというのは、旬のものを捕れた地で食べることを言うのだと思っている。ああ、今年こそ、氷見で寒ブリを食べたい。毎年そう言い続けては、この時期になると旅行のことを思い出すのである。

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警察との思い出?

tsuyorinさんの[三日月な日々」の中に「警察官との思い出」という記事があった。これは、「column@管理人室」の「続・警察庁の思い出」にトラックバックしていらっしゃる。このブログは私も別経由で覗かせて頂いたいたことがあったのだが、プロのライターさんだけあってとても読みやすい文章が印象的だった。私の友人のライターから送られてくるメールもしかり。多分、物書きを生業にしている人の中には、人を心地よくするリズムが流れているのだ。
で、これもご縁なので私もお二方にトラックしつつ警察の思い出などを。

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ハロウインを楽しむ

街のあちこちにカボチャのランタンを模した置物がディスプレイされるようになった。10月31日はハロウィン。私の子供の頃にはちっともメジャーではなかったと思うのに、いつの間にか当たり前のようにショーウインドウのメインに収まっていた。クリスマス前の何もめぼしい行事が無いときに、それはとてもおあつらえ向きだったのかもしれない。我が家の玄関前にも小さなかぼちゃが飾ってある。それだけではない、リビングのあちらこちらには娘がオレンジの折り紙を使ったカボチャと、オバケの書いてある飾り、紫色の折り紙で作った魔女の帽子が行儀良く並んでいる。

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誕生プレゼント

この連休は家族共々私の実家でのんびりしてきた。うちの両親は、私という出来損ないの娘を貰って頂いたという負い目があるのか、結婚後10年以上経った今でも我が夫を王様のようにもてなす。日頃私にそんな扱いを受けていない夫は慣れない待遇にとまどいながらも、出された料理を目を白黒させながらお腹に詰め込んでしまう。そして、いつものことながら夫も、そして私も、たった一晩過ごしただけなのに体重を何キロも増やして帰ってくることになるのだ。
特に今回