サンタが街にやって来る

12月24日の夜、サンタクロースは大忙しである。何しろ、一晩の間に世界中の子供たちに希望通りのプレゼントを届けなければいけない。小太りの身体を煙突にもぐりこませるのだから、赤い衣装は煤だらけになりそうだ。もっともこの体型も衣装も、そして「Ho! Ho! Ho!」という笑い声も、某飲料会社が作り上げたイメージだという話だが。私の小六の娘ラスカル(仮名)にはそれを伏せて去年まで毎年サンタが来ていた。が、先日、無邪気な私の友人が娘におもむろに尋ねた。「ラスカルちゃんは、いつまでサンタさんを信じてたの?」

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孤独

前回こういう記事を書いた後にあんな事件が起き、とても切ない気持ちになっている。なんら責められる必要のない幼子の命が奪われるという事実を思えば、罪びとに同情する余地はありえない。また、犯行の残虐さや救いのなさから、おそらくあの女性は程度がどうあれ精神的な問題を抱えていたと思う。が、そうなるに至った理由を、個人の資質だけに求めてしまっていいのかという思いもある。今回の事件が「特別な出来事」であるようには私は思えないのだ。

報道では彼女が日本語が不自由なことを気に病んでいたとされている。だから、他のお母さん方に馴染めなかったと。

確かに言葉がうまく操れないというのはとてもつらい。私自身、海外で生活した際、娘の通うアメリカンスクールに迎えに行くのは憂鬱だった。放課後、子供たちがプレイグランドで遊ぶ間待っていると、他のお母さんから英語で話しかけられるのは怖いくせに、まるっきり近寄ってこられないとなんだか不安になった。大勢で会話が始まれば、「えっ? それってどういう意味?」と聞くタイミングが見つからず訳もわからずににこにこしたりして、沢山でいるのに却って孤独な気分になったものだ。

言葉は生き物だ。聞いた言葉そのものだけが伝えるものであるとは限らない。言外にこめられた意味だってある。文化的な背景を知らなければ分からなかったりし、「本当にこういう意味でいいのかな?」と不安になることもしょっちゅうだった。

ましてや日本には暗黙のルールが多い。日本で暮らす外国人が真面目な人であればそれだけ、疑心暗鬼になることも多いだろう。でも、そういったものに極限まで追い詰められてしまったのだとしたら、それは、幼稚園という環境も大きく影響していると思う。

幼稚園はもちろん子供のための施設である。子供たちが集団で遊び、いろんなことを学んでいる。でも、その前後の時間は長く、大部分が親たちの意思に委ねられている。帰りに公園に寄り道して遊んだり、互いの家を行き来したり。約束をするのは大抵親たちなのだ。だから、親がうまく周りとつきあっていないと、子供もそういう遊びの輪に入りづらい。自分が子供の世界を狭めてしまっているのではと、余計なプレッシャーになったりする。

本当はそんな時期なんてほんの数年の話なのだ。小学校にあがってしまえば子供は自分で自分の世界を作っていく。でも、渦中にいるとき、人間はそれが永遠に続くような気がしてしまう。一つのつまずきで子供の将来が決まるかのような錯覚に陥る。

私の母が私を育てていた頃、別に公園デビューなんて言葉はなかったし、幼稚園の後母親に連れられて友達の家に遊びに行った思い出もない。いつからママ友なんてものが出来て、これだけ付き合いが濃密になったんだろう。そして、それはどうしてなんだろう。

今は、皆、どうも自分と同じ境遇の人とばかりつきあいたがっているのだと思う。互いに共感できる相手と話していたほうが楽だから。そして、きっとそれで失っているものも多い。そうと気付かずに。

じゃあ、どうすればこの事件を防げたのか。周囲が彼女にもっと声をかけるべきだったのか。一人だけ別扱いすればよかったのか。でも、それはますます彼女を孤独にしただけだろう。ならば味方であるはずの家族は、追い詰められていく彼女にどう対応するべきだったか。たぶん、誰も一番正しい答えは出せない。簡単に答えが出せない分だけ、みんなの心に残した傷は大きい。

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母から娘へ

fumi_oさんの この記事を読んでいたら、以前妹に言われたことを思い出した。

まだ娘が生まれて間のない頃、妹が言った。「お姉ちゃんも、女の子が生まれてよかったと思う?」意味を問うと、妹はこう答えた。「会社の同期の男の人は、女の子が欲しいんだって。自分は男で、小さい頃から勉強ばかりやらされて大変だったから、女の子の方がいいって。女の子ならいい大学だの、いい会社だのって言われなくてすむから」その男の人は某有名国立大卒らしい。が、私は思った。「大学に女の子だっていただろうに、ソイツはなーんにも分かっちゃいないんだな」と。

今は価値観も多様化していて、「これが最良の人生」というのははっきりと言えなくなった。東大を出たってリストラに遭ったりするし、収入があるからといって精神的に幸福であるとも限らない。それでも、「いい大学を出ていい会社に就職し、出世する」というのは男性の憧れのモデルケースとは言える。ところが、だ。女性の場合そう簡単にはいかない。

「勉強頑張れ」と、これは主に母親から言われ、なんとか大学までは男性と肩を並べてやっていく。でも、勤める段になると男性とは微妙に、あるいは決定的に違う扱いなのに気付いてしまう。実際、結婚、出産に直面して、大きな選択をしなくちゃいけなくなる。

リタイアを選べば多かれ少なかれ挫折感が伴う。あんな風に頑張ってきたのはなんだったんだろうと虚しくなる。逆に続けていく道を選ぶと、肉体的な負担は大きい。どちらも中途半端になることに疲れ果てる人もいるし、割り切って仕事に没頭すれば「あなたには母性が足りない」と誹られる。

fumi_oさんの記事にあるように、そういう古典的な価値観をぶつけてくるのが「頑張れ」と言っていた母親だったりして、始末が悪い。でも、その母親たちも実は揺らいでいる。仕事の上でどんどん業績をあげていく娘を誇りに思いながら、一方で何よりも子供を優先させるよき母親であることをも求めているのだ。

結局のところ、「これが女の幸せ」なんてものは存在しないのだと思う。強いて言うなら「自分が幸せと決めた生き方」なのかもしれないけれど、これだって色んな状況の中でどんな風に変化していくのか分からない。私自身30ン年生きてきて「こうするのがいいわよ」と娘にアドバイス出来ることなど持ち合わせていないのだ。

今の私が娘に言えることは一つでしかない。「自分にとっての幸せを探しなさい」ということ。それはとっても難しいかもしれない。もしかしたら一生かかっても分からないかもしれない。でも、娘がどういう生き方を選ぶか、見守れる母でいたいなあと思う。じっと黙ってみているのも、やっぱり難しいのだろうけど。

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先輩の言葉

久しぶりに実家の母が我が家に遊びに来てくれた。父は、私の思春期に「階段を上がるのが億劫」という理由で何年もの間子供部屋のある二階に足を踏み入れなかったぐらいの人だから、電車で一時間以上かかる我が家までわざわざやってくるはずはない。それどころか、父は母に「一体何しにいくんだ?」と真顔で問い、さらにもって「Kakoの作った料理なんて食べられるのか?」と失礼なことを言っていたそうだ。私がもう10年も主婦をやっていることなど、父には信じられないことらしい。

まあ、それでも母は私の作ったスパゲティをおいしいおいしいとたいらげ、孫の成長に目を細め、細かな掃除の不備を指摘しながらも「まあ、とりあえず、生活はしているわねえ」と安心している風情だった。親のそんな姿を見るのほど、子供にとってうれしいことはない。少しは親孝行が出来ているのかなと、私もまたほっとした。

でも、母は雑談の中で昔を振り返りながら、しみじみと「子育てしているときは、本当に大変だった」と言った。私は典型的な長女気質でやんちゃなことはしなかったから、両親を主に悩ませたのは私ではなかったけれど、実の親から聞かされるのは重い。あの頃、母は、思うようにならなかったり、何を考えているのかよく分からない私たち姉妹に、思い悩んだ日も少なくなかったのだろう。実際、色々なことがあった。

「ちっちゃな赤ちゃんのときはともかく、中学生や高校生ぐらいになるとその問題が本人の気質からくるものなのか、自分の育て方だったのか、分からない部分もあってねえ」今思うとこうしておけばよかったのかなということも結構あるらしい。それでも、それが本当に正しかったのかどうか、誰にも分からない。

「いつの時代でも、子育ては楽なことじゃないのよ。人間を育てるんだから。ましてや、今は物騒なことばかりがあってもっと大変なんじゃないかと思う」

人生の大先輩は、子育て真っ最中の私に「子供なんて、ほっといても育つわよー」と楽観的なことは一言も言わなかった。そして、それは真実なんだと思う。これから娘(9歳)にも色々なことがあるんだろう。現代は子供が育っていくのに決していい環境とはいえないけれど、少なくとも思春期の子供をかかえた悩みは誰もが通る道だということかもしれない。

母は今第二の青春のごとく、趣味を楽しんだり、旧友たちとの交遊に忙しい。「今が一番楽しい」といきいきしている。それもこれも「あなたたちが、それぞれなんとかやっていてくれるから」ということらしい。母をそういう心持にさせてあげられたことに感謝しつつ、よし、私ももうひと踏ん張り! と思ったのだった。

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子連れ旅行の終わり

2ヶ月ほど前友人と銀座でランチを楽しんだ。独身時代に何度か行ったフランス料理店は少しも変わっていなくて、お子様ランチならぬオクサマランチを楽しむ女性たちでいっぱいだった。

今度は家族でも来たいなあと思いつつ店を出ると、店の入り口にはしっかり「10歳未満のお子様のご入店はお断りしています」との但し書きがある。まあ、だからこその雰囲気のよさなのだろう。我が家もしばらくは無理だなあと思いかけて、気づいた。娘があと半年ほどで10歳になることに。

この夏、家族で旅行にでかけてきて、娘がもういわゆる「子供」ではなくなりつつあることを実感した。もともと、我が家は娘が幼い頃にオランダに滞在したこともあり、色々な場所に連れ出したせいでレストランや飛行機で騒ぐことはなかった。それでも、景色を見る場面ではあきることが多く、大人とは興味の対象が違っていた。それが、今回は雄大な景色に一緒に感動し、同じアクティビティで楽しめるようになっていたのだ。

私はこのブログを始める前から「Enjoy! 子連れたび」という子連れ旅行記をメインにしたHPを持っているが、今回の旅はもしかしたら最後のいわゆる「子連れ」旅行になるような気がする。そう思いつつ今までの旅行記をながめると、それは娘の成長記でもあるように思える。

楽しい時間を同じ気持ちで共有できるのはうれしい。それでも、少しのさびしさはある。いつまでも幼いままでいて欲しいとも思う。そこが親のエゴイズムなのかもしれない。

そんな感傷的な気分も手伝って、今度の旅行記はなんだかくどくどと長い文章になってしまった。いつもなら読む人が参考に出来るように、なるべく事実のみを書くように心がけているのに。

旅の中では色んな人に出会って、いろんな事を思った。もしそれらにご興味のある方は、ちょっと長いですが こちらの旅行記をどうぞ。

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子どもとルール

ついに始まった夏休み。ここにもあそこにも子連ればかりが目につく。「ああ、この子達が日本の将来を背負っていってくれるのね」なんていう微笑ましい気持ちになれたらいいのだけれど、現実は、ちょっと厳しい。

先日、とある食品関係の工場を見学し、娘(9歳)とでかけた。見学者は15人ほどのグループに分かれ、それぞれ案内の人の後について工場内を回る。食品工場だけあって、見学者も衛生面に気を遣い、頭に帽子をかぶったり、マスクをつけ、エアーシャワーを浴びて手洗い、消毒液もつける。工場内ではメモも禁止だし、白線が引かれ、それ以上中には入れないように説明も受ける。

ところが、である。年長ぐらいの男の子の集団が、この約束事をちっとも守らない。我が家は女の子一人だから、男の子がどれだけじっとしていられないのか、よく分からない部分はある。でも、こういう状況で、ひっぱりあったり押し合ったりして床に転がるっていうのはどういうことなんだろう。工場を見回せる大きな窓の桟に土足のままで乗っているのはどうなんだろう。何より、その子の母親達がすぐそばで子どもを見守ることをせず、離れたところでおしゃべりしているのは何故なんだろう。見かねた案内者が「あ、白い線の中には入らないでね」と子ども達に声をかけていても、親たちはちっとも気にしていないのだ。

「子どもなんてそんなもの」という考え方もある。そういう子どもを「見学可」にしているのだから、「最初からそれぐらい分かってるでしょ」というわけだ。確かに、今の世の中は皆の心に余裕がなくて、泣くのが商売の赤ちゃんの泣き声さえ「うるさいからなんとしろ」と言われることも少なくない。「もっと子連れに対して寛容になって欲しい」という気持ちも分かる。

でも、それとこれとは別だと思う。こういう見学は、そこでのルールを守ることも学びの一つじゃないんだろうか。傍若無人に振る舞う人たちがいて、そのことで「子連れ=迷惑」と思われてしまったら、それこそ大迷惑だと思う。

結局、この男の子達は見学後の売店でも走り回っていて、お会計の男性に「ここは運動場じゃないよ!」と怒られていた。また、帰りのバス停では、これとは別の女の子達(中学年ぐらい)が列を無視して我先にとバスに乗り込み、その後に続こうとした母親達が居合わせた初老の女性から注意を受けていた。が、不満そうな母親達の表情を見ていると、なんだか不安な気持ちになってくる。

元気一杯の男の子を大人しくさせようと思うのが間違いなのか。些細なことを気にして怒ったりするのは大人げないのか。もとからあったはずの信念がなんだかゆらぎかねないのが、腹立たしい。

夏休みは始まったばかりだ。別に我が家が特別模範的だなんて思っていない。娘だってまだまだ公共の場で注意しなければいけないことは多い。それでも、親子ででかけることが多いこの季節に、私たちはどんな沢山の親子たちと出会い、何を感じるのだろうか。

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少し前のことになる。用があって、登校する娘(9歳)と並んで歩いていた。すると、同じクラスの長井君に会ったので、途中まで一緒に歩くことになった。「お母さんに怒られたとき・・」という話になり、「昨日もぴーぴー泣いたんだよねー」と私がおどけて娘に言うと、長井君が驚いている。「**さん、泣くことなんてあるの??」今度は私の驚く番だ。思わず「どうして?」と尋ねた私に、長井君は言った。「だって、泣くのなんて見たことないし、想像出来ないから」
娘は学校で「絶対に泣いたりしないキャラ」らしい。

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ギャングエイジの子供たち

9歳の娘を見ていると息苦しくなることがある。本当は母親としての立場に立って冷静にながめるべきなんだろうけど、ついつい自分が子供だった時のことが蘇ってきて同化させてしまったりする。子供時代を追体験してしまうのだ。子供というのは天使じゃない。我が儘で残酷だ。だから、そんな頃を思い出すのはちょっとつらい。

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負うた子に

今日の東京は汗ばむほどの陽気で、暑がりの娘など一日中半袖Tシャツだった。私は冷え性だから暑がるというよりはむしろ暖かさにうきうきしていて、一日のほとんどを外で費やしてしまった。何しろ、ちっちゃな我が家のお庭はもう春まっさかり。花の手入れをしれいるとあっという間に時間が過ぎていくのである。そして、それだけでは足らず、娘(9歳)と一緒に散歩をしたり、園芸店に花を観賞しに行ったのだった。

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9年前

9年前の今日、娘が生まれた。予定日より5日遅れ。待ちに待った陣痛は、それでも微弱なままいつまでも続いて、最後には陣痛促進剤のお世話になった。感想はと言えば、「この世にこんな痛みがあっていいのか」ということだった。

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しないこととし過ぎること

fumi_oさんのところの記事を読んで考えこんでしまった。実際、このところにわかには信じられないような幼児虐待の事件が発覚したりし、動物の本能としての母性は一体どうなってしまったんだろうと思う。ただ、私の周囲には所謂「教育熱心」な人が多く、私みたいなぐーたら母は身を縮めてしまうくらいだ。と同時に、そういう熱心な人を見ながら「本当にそれでいいのかなあ?」と首を傾げたりもする。

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そう、そう、そう!

私は子供の頃から本屋さん好きだった。特に「これを買おう!」というものが無くてもぶらっと立ち寄り、いつの間にか時間が経っていることも多い。別に読書家というわけではないのだけど、あの独特の印刷の匂いが好きなのかもしれない。で、今日もうろついていて、ある棚一杯に並んだ本達を見ながら思った。「育児エッセイというのは、もう立派な一つのジャンルなんだなあ」と。

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試行錯誤

娘も小学生になると、「育児」という感じではなくなる。目の前でぱくぱくと食べている姿を見て、「そういえば自分で食べることが出来ない時代もあったのよねえ」と感慨深く思ったりもする。口に入る以上にテーブルや床の上に落としたりしていたのに、今じゃ一緒にカレー作りをするのだから、冷静になって考えるとすごい進歩だ。そういう意味ではかなり手が離れたと言っていい。でも、じゃあ、もう何も心配などいらないのかというと全くそんなことはなくて、小学生には小学生なりの親の悩みというのがあるのだった。

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子供の帰り道

今日、娘の帰宅からほんの10分ほどだけ遅れて家路を急いでいたら、道ばたにピンクの糸が雨に濡れて落ちていた。心に引っかかるものがあってじっと観察してみると、糸の先には見覚えのあるピンがついている。防犯ブザーのスイッチだ。ブザーはこのピンを本体から外すことで音が出る。ということは、今、その防犯ブザーは鳴っている最中のはずだ。そして、この防犯ブザーは、私が娘に持たせているものと同じ型なのだ。

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人は人、自分は自分

娘(8歳)は夫のことが大好きだ。愛していると言ってなんの差し支えもない。
「寝るときはお母さん」という子が多いはずなのに、物心付いたときから夫をベッドに呼んでいた。外食すれば必ず夫の横に座るし、私が夫の肩を揉んだだけで怒る。生まれ出て最初に目に入ったのが夫だったから刷り込みがあったんじゃないかと夫は言うけれど、娘は鳥ではなかったはず。
だから、普段夫の帰りが遅くて一緒に食事が出来ないのを娘はかなり不満に思っている。我が家の方針で外出時間が違っても必ず家族全員で朝食をとることにしているけれど、それだけでは足らないようだ。休日に夕食を共にし、夫とお風呂に入るのを本当に楽しみにしている。が、娘ももう8歳である。そろそろ一緒は難しいかなと「みんなはどう?」と聞いてみた。すると、娘が不満気な顔で答えた。「おかしいよ、お母さん。いつも『人は人、自分は自分』っていうくせに」

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本とマンガ

金曜日、娘(8歳)はいつも通り動物のテレビ番組を見ていた。この番組は基本的にペットのかわいらしさを扱っているのだが、後半では人を助ける役目を担った犬などにもスポットがあてられる。この日は聴導犬だった。首を傾げながら見ている娘に、犬には盲導犬や聴導犬、それに介助犬などがいることなどを話して聞かせ、そこからヘレン・ケラーの話になった。が、彼女を知らないという。ちょっとあせった。

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ばっかり食べ

先日テレビを見ていたら最近の子供達の「ばっかり食べ」について特集していたので、思わずじっくり見てしまった。ばっかり食べというのは、私たちが子供の頃しつこく言われていた三角食べのまるっきり反対で、あるおかずばかりを食べた後、他のおかずを全部食べ、それが食べ終わるとごはんだけをかっ込むという食べ方のことである。実はうちの娘がどうしてもそうなりがち。気付くたびに注意しているのだがなかなか直らないので、どうしたものかと思っていた矢先だった。

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子は親の鏡

先日、娘(8歳)に「世界征服って何?」と聞かれ、「世界中を自分の思うとおりにしようとすることだよ」と教えたら、「それってブッシュのこと?」と言われた話をここに書いた。ニュースから自分で思いついたわけではないだろう。どうも彼女、私たち夫婦の会話をよーく聞いているらしい。

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子連れは迷惑か

悪徳不動産屋の独り言」経由で他のblogを見させて頂いていたら、「こにのつぶやき」の中に今日丁度私が書こうと思っていた話題があった。
私はこのblogとは別に「Enjoy! 子連れたび」というHPを持っているが、先日そのBSSの中で子連れ旅行のマナーについて読者さんとお話をする機会があり、色々と考えさせられたのである。

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まだまだ続く夏休み

小学3年生の娘にとって待ちに待った夏休に入って一週間以上。私にとっては毎日の昼食メニューに頭の痛い日々がやって来た。それにしても東京の夏休みは長い。私が小学校時代を過ごした東北の町の夏休みより10日以上も長い。それなのに最近の学校は夏休みの宿題を私たちの頃に比べて出してくれない。そして「体験学習を大切にして下さい」と言う。一体どうやって過ごせば「理想的な夏休み」なんだろう。

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