ただ、それだけで
あの大国ではその国のトップを決めるというので大騒ぎらしい。今回は初の黒人大統領が選出されるかもとの話で、様々な調査では優勢が伝えられている。が、蓋を開けてみるまで分からないという。「白人有権者が本当に投票所で黒人に票を入れるか分からないから」なのだそうだ。そんなコメントを聞き、私は駐在先や旅行先で感じたあれこれを思ってじくじくとした苦い気持ちになる。
子供のころ、「アンクルトムの小屋」を読んだ。「アンネの日記」も読んだ。模範的な感想は「差別はしてはいけないことだと思いました」だ。実際、私もそう思ったし、感想文でも書いた気がする。でも、今になると思うのだ。あれはあくまで自分を差別するかもしれない側に置いている視点だったのだと。
日本に住む多くの日本人はおそらくそうなのだと思う。私ももちろんそうだった。でも、私たちは有色人種である。ある一定の人たちにとっては、ただそれだけで、私たちは差別されるべき存在なのだ。海外に身を置くと、そのことに気づいて愕然とする瞬間がある。
今は表面上は「差別をすることはいけないことだ」と言われている。だから、表だって何かされることはそんなにはない。が、気付いたら何かの順序を飛ばされていたり、さりげなく避けられたりということはある。もちろん、その理由が「私が日本人だから」かどうかなんて直接知ることはできない。でも、彼らの目が如実に語っている。そこにあるのは、侮蔑ばかりでもなく、時に「不快」である。
この「不快」という感情は厄介だ。人によってはそれのみ投げかけてくることがある。でも、「そんなの差別だ!」と責めることは難しい。それでいて、自分がただその存在だけで相手を不快にさせているという事実は、本当に屈辱的で悲しい。これは経験してみないと分からない。
有色人種だから、女だから、地方出身だから。ただそれだけのことで人を差別しようとする人がいる。理由を問えば、「そういうものなんだから」というおよそ論理的とは言えない答えが返ってきたりもする。そりゃあ、説明できないだろう。そういう場合、たいてい理由はその人の中にあるのだから。
有能な人物というのはそんなことは口にしない。有能というのは柔軟であるということである。そして、自分自身で判断できるということである。相手を見極め、個々に対応する。決して、事前情報でレッテルを貼るような怠慢はしないと思う。
そして、何より、差別をしたがる人というのは、自分が安心したいのだ。白人であることも、男であることも、東京出身であることも、別に苦労して手に入れたわけでもなく、これからも努力し続ける必要がない。ただそれだけで自分は優れていると思えるのなら、こんな楽なことはない。何らかのコンプレックスのある人ほど、そういう気持ちが強いんじゃないかと想像してしまって、私などかえって「かわいそうに」と思う。そういう人は、まさか、自分が見下した相手から同情されているなど、思ってもみないのだろうけど。
さて、投票結果は明日にも分かるそうである。果たして結果はどうなるだろう。候補者が何人かどうかではなく、国のかじ取りを任せられる人物かどうか、それを見極めて投票してほしいと願うのだが・・。世界中の運命をも決めるというのに、私たちはこうやって遠くから眺めていることしかできない。じれったいと思うのは私だけだろうか。
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