献杯
先日、用があって実家に帰ったら、母が真顔で言った。「Kako・・それが変なのよねえ。お酒が減ってるのよ。昨夜絶対3分の2は入れてたはずなのに、今朝になったら・・」見れば、祭壇に置かれたガラスのおちょこには半分に満たないお酒が入っている。アルコールだから蒸発する分はあるかもしれないとも思ったが、「お父さん、飲みに来たんじゃないの?」と母に言うと、母は「やめてよ」と顔をしかめつつも「怖いことは辞めてくださいね」と父におどけて語りかけた。遺影の父はもちろん、知らぬふりである。
人が亡くなると、その後の日にちは七日ごとに一七日(ひとなのか)、二七日(ふたなのか)と数えていくという。七七日が7×7で、すなわち四十九日になる。父が亡くなってからはもう三七日を迎えた。
母から父の病状を知らされたのは今年の2月1日のことだった。その日、我が家では娘の受験でてんやわんや。合格発表を待つという何ともいえない精神状態のとき、母もまた一人ではその事実を抱えきれずに私に電話してきたのだった。
末期の肝臓がん。癌の大きさ、位置から、もう既に手術が出来る状態ではなかった。もともと患っていた糖尿病の主治医から精密検査を勧められた時点で母も私も覚悟はしていたが、いざ告知となると母の動揺は大きかった。そして、母が動揺すればするほど、私は冷静にならなくてはならなかった。
それから半年。色々な迷いはあった。積極的な治療をすべきなのか、受け入れてとにかく好きなことだけして過ごすのか。父自身の思い。母の思い。それだけでなく、善意の人々のあらゆる言葉。それらにいつも揺さぶられながら、時間が過ぎていった。
それでも、父の闘病はあまりつらいものではなかった。痛みを感じることがほとんどなかったし、ぎりぎりまで自宅で過ごし、母の手料理を好きなだけ食べていた。私が見舞いに行こうとすると、「Kakoは口うるさくて適わないから、来なくていい」と憎まれ口をたたいていた。どうせうるさいと言われるのなら、もっと早くにお酒をやめるよう、しつこく言っておけばよかったとも思うけれど(本来はA,B,C型肝炎から癌になることがほとんどで、父のようにアルコール性肝炎から移行するのは珍しい)。
結局は自分の命を縮めるほどに好きだったお酒を、父はこの半年口にすることはなかった。それでも、7月に入ったばかりの頃、「こういう暑い日はぐーっと一杯、冷えーたビールが飲みたいなあ」とうらめしげだった。そんな姿を思い返すと、今頃はおそらく連日連夜、同じように酒好きだった伯父たちと酒盛りをしているに違いないと思う。祭壇に置かれたお酒だって、そりゃ手を出すだろう。
昨日、母に電話で尋ねると、「もうコップでお酒をあげるのはやめた」という。紙パックを封を開けずに置いているそうだ。父が「そりゃないよ」としかめっ面しているところが目に浮かぶ。いや、それでも、もしかしたら中身は減っていっているのかもしれない。あの父が半年も我慢したんだから、それぐらいのことはするかも。
そんな我が父に、「とにかく、今は好きなだけ飲んでね」と・・・
献杯。
追伸:申し訳ありませんが、この記事に関してはコメント受付を停止させていただきます。
| 固定リンク
« 国家と個人 | トップページ | ただ、それだけで »


最近のコメント