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教え

あれからもう十日が過ぎた。一匹残された我が家の金魚「チル」は一週間ほどはなんとか頑張っていたが、結局深夜、「クル」の後を追ってしまった。

翌日の朝、娘は既にベッドの中で声を上げて泣いていた。私たちがそうと告げる前に、娘は自分が寝ている間の出来事を感じていたらしい。「夢を見た」という。「二匹とも元気に泳いでた。でもね、自分は死んでしまったのを、夢の中でも分かってるの」「会いに来てくれたんだね」と私が言うと、後は涙、涙である。きちんと庭に埋めた後でも、出窓に水槽が無いのを認めてはぐすぐすと泣いていた。よほどショックだったようだ。

ただ、幼い娘にとって、金魚の死というものが、初めて出会った「死」であったというわけではない。娘は一昨年、大切なクラスメートを亡くしている。当時は娘だけでなく、私までかなりのショックを受け、立ち直るのに随分時間がかかった。娘は今でもテレビで葬儀の映像が流れると思い出して涙するほどだ。

そして、実はひと月ほど前、私の大好きだった祖父が亡くなった。高齢だったのである程度の覚悟は出来ていたものの、野辺送りの一通りを目にした娘は何やら感じるものがあったらしい。それらの上で、「死」というものを自分なりに受け止めたようだ。娘は落ち着いてきてからこう言った。「だから、自分の命も大切にしなくちゃいけないんだね」

先日、あるドラマの中にこんな台詞があった。「身近な人の「死」というのは、罰ではない。教えなのだ。それをもって、人とは必ず死ぬものだと知るのだ」

昨日は祖父の法事だった。幼い頃祖父と一緒に遊んだ用水路や田畑は少しだけ形を変えている。川底はコンクリートで固められた上、農繁期以外には水が流れなくなってしまった。向かいに住んでいた大叔父夫婦の丹精こめられた畑は更地になり、大叔父が「まだ暖かいよ」と言いつつ持ってきてくれた卵を産んでいた鶏たちはもう一羽もいない。あんなに騒がしかった鶏舎はただの物置になっている。

連れ合いを亡くした祖母はといえば、最近になってようやくショックが癒えてきたものの痴呆がかなりすすんでしまった。今後は、慣れない都会で私の両親たちと同居することになる。あんなに働き者だった祖母が、今は何をするのも億劫らしい。

様々な場面を思い出しつつあぜ道を歩き、私はドラマの台詞とは少し違うが「時は流れていくのだな」と思った。どんなに愛おしくても、その時間をそのままでとどめていることは出来ないのだ。鶏舎の陰や栗の木の下で私や妹、親戚の子供たちが幼い姿のまま笑っているを感じながら、私は悲しいというよりもなんだかしみじみとしたものを感じていた。こうやって、子供は大人になっていくのかもしれない。

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コメント

こんにちは

ペットを飼ったり、祖父母と同居したりして「死」に直面したりすることは、とてもいい「教え」になりますよね。ただ最近は、そういう「命の大切さ」や「死ぬ、ということ」を学ぶ前に、学校の飼育小屋から連れ去って酷い苛め方をして殺してしまったりする事件が後を絶ちません。悲しくなりますね。

お嬢さんにとってはチルちゃんの死は、「よき教え」になってくれるもの、と信じています。

投稿: poohpapa | 2007/03/22 11:56

poohpapaさん、こんばんは。
お返事が遅くなり申し訳ありません。

娘は短期間に色々なことがあったせいか、「死」という言葉に随分敏感なようです。
先日も、お友達に「そんなことになったら自殺するー」と軽く言った子がいるらしく、かなり怒っていました。「絶対言っちゃいけないことなのに」と。

娘にとっては、今出会うすべてのことが「教え」なのかもしれません。

投稿: Kako | 2007/03/25 00:20

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