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たそがれ

夕方、娘と一緒に自転車を走らせていると、どこからともなく夕餉の支度をする匂いがしてきた。「あー、お腹ぺこぺこー」と言い合いながら、少し感傷的な気分になってしまった。どうして、こうして漂う匂いはどれもとてもおいしそうなんだろう。そして、西の空のたそがれとセットになって、何やら切ない思いがするのはどうしてなんだろう。こういう気持ちは、子供の頃とあまり変わらないと思う。

私の子供時代は「遊べや遊べ」だった。文字通り、日焼けや泥で真っ黒になるまで遊んだ。辺りが暗くなり、あちこちからいい香りがしてきて、初めて夕方になったのを知った。どうせ明日はまた来るのに、一日が長い子供にはそれが果てしなく先のことに思えて、遊びを切り上げるのがもったいなくて仕方がなかった。「じゃあね」と手を振る友達の顔も悲しげに見えた。

それでも、家に戻れば明るく灯がともっていて、母が用意してくれた夕ご飯が食卓に載っている。「もう、決して食べ過ぎません!」と誓いたくなるほど、お腹がぱんぱんになるまで食べてしまうのだった。

今、私は主婦になって、時々ふとさびしい気持ちになることがある。もうどんなにお腹を空かして家に帰っても、暖かく作られた料理が待っていることはない。自分でお鍋をうんしょとガス台ににのっけて、おいもやら大根を煮なくちゃいけないのだ。

誰かが自分のために用意してくれた食事はおいしい。それが自分の家であれば尚のこと。女が一度家を出て家庭の中に入ってしまうと、もうそんなことは多分ずうっとなくなるのだということに、私は結婚してから気付いた。

今や私は、そんな形の幸福を、与える側になっている。娘も大きくなってそうと気付くときがくるのだろうか。思い出す香りは、どんな料理だろう。

今夕、家路を急ぎながらあの頃のような光景を夢想してみたけれど、たどり着いた我が家は当然真っ暗だった。そして、私は急いで娘や夫のためにお米を研ぎ始めたのだった。

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コメント

私も「自分で作らない限り、食べ物は出てこない」ことを残念に思っていました。夫は全く作らない人なので。

でも、最近は子ども達が作ってくれるんですよ。もちろん、そんなに美味しいものじゃありませんけど、それでも嬉しいです。

投稿: ビアンカ | 2006/01/21 08:50

作った料理を食べてくれる人がいる幸せというのもあると思いますよ。一人で作って一人で食べるのは気軽な部分もありますが、虚しい部分もありますよ。
それと、男もいざとなれば料理の一つや二つできないと、Kakoさんが病気で倒れたときなどは困りますよね。熟年男性向けの料理教室が大流行とか。たまに趣味でやる料理の楽しさってあるんですけどね。もっとも自分の場合kakoさんと同じ理由で散らかった台所に片目つぶって歓迎してくれていたからできていた部分もありますけどね。
雪だし、今夜は鍋でもと思っても、一人ではなかなかです。

投稿: | 2006/01/21 10:21

ビアンカさん、こんにちは。

そう! そう! なんですよ! 子供!
その手があるんですよね。
うちも少しずつやらせていて、今日の朝もスクランブルエッグをつくってくれました。親が作ってくれていたのとは、別な幸福感があると思いました。
私はあまり母から教わることがなくて苦労したので、娘とは沢山、一緒に台所に立ちたいと思っています。

投稿: Kako | 2006/01/21 10:47

惑さん、こんにちは。

確かにそれはありますね。私も一人暮らしがそれなりに長かったので、虚しさはよく分かります。2時間かけて作ったシチューをほんの少しの時間で食べてしまったとき、「二度と手のかかる料理なんて作るもんか!」と思いましたもの。

私が倒れたときのことはよく考えます。夫は私から見てとても出来た人ですが、料理がまるっきりダメなのが難点。本人曰く、「イメージしたものと、実際に出来上がるものが違って、がっかりするのが嫌だから」だそうです。同じ理由で日曜大工もやりません。
「コンビニがあるから大丈夫」と豪語する夫をなんとかするよりも、嬉々として手伝ってくれる娘に頑張ってもらうほうが早いような気が・・。

投稿: Kako | 2006/01/21 10:54

「夕餉の匂い」って言葉に懐かしい気持ちになりました。
なぜでしょうね? 不思議です。

わたしは、危ないからという理由で、あまり手伝わせてくれませんでした。もっぱら、絹さやの筋取りとか食卓の準備がお手伝いでした。
でも、中学生の時、学校の課題で「ミートソース」を作りました。スパゲティにするのです。
両親はハラハラしながら見ていて、わたしははりきって作りました。美味しかったかどうか分からないけど、嬉しそうに慣れない洋食を食べてくれました。
自分で調理して、自分で食べる……そんな毎日の今。
時間が不規則な病棟勤務看護婦をしながら、きっちり食事の用意をしていてくれた母に感謝しています。
食べてくれる人がいるのも、しあわせでしょうか?
娘さんからの、お料理プレゼントの日がくるのが楽しみですね。

投稿: さり | 2006/01/28 22:34

さりさん、こんばんは。
お返事が遅くなってしまって申し訳ありませんでした。

夕餉という言葉には、なんとなく家族皆で囲むイメージがありますよね。だから懐かしい感じがするのかも。この言葉そのものが消えつつあるのは、夕食の形態が変わってきているからかもしれません。

食事というのは、ただ食欲を満たすものではなくて、心をも満たすものなのだなあと思います。

投稿: Kako | 2006/01/31 00:16

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