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若い頃

このところ色々なことがあったせいなのか、会いたい人に「いつか会える」と思うのはもうやめて、「会いたい時は会おう」と思うようになってきていた。そう心に決めて旧知の人におそるおそる連絡をとってみると、これが案外喜んでくれたりして、うれしい。そうやって、先日その人とはほぼ十年ぶりに会うことができたのだった。

彼女は、私が仕事をしていた頃の職場の先輩だ。新人で右も左も分からない私にいつも優しく声をかけてくださっていて、私はずいぶん甘えさせてもらっていたように思う。そして、若気のいたりというのか、多分、ご迷惑もおかけしていたに違いない。

あの頃の私は恥ずかしい失敗ばかりしていた。慌てて行動するので職場のゴミ箱をしょっちゅう盛大に蹴飛ばしていたし、大切な書類をどこかに置き忘れてきたりしていた。今思えば周りを気遣う余裕もなくて、余計なことまで口にしてしまっていたと思う。そんな一つ一つをふと思い出しては、今でも「あれは取り消したい!」と一人顔を赤らめてしまったりするのだ。

果たして、ランチのお皿をつつきながら、話はその頃の思い出話になった。先輩からは私本人も忘れていた失敗談が出てきて、「はー、やっぱり、私は恥ずかしい人間だー」と思わずにはいられなかったが、先輩はそれでも「あれは面白かったー」ところころ笑った。その笑顔を見ていたら、私は、ちょっといつもとは違う心持になっていることに気付いた。

あの頃私は、「仕方がないなあ」とあきれられていたのだと思う。でも、そんな風に周りの方々から温かく見守ってももらっていたのだ

それから、先輩はこうも言った。「あの頃、あの部署は信じられないくらい忙しかったから新人を育てる余裕がなくて、すぐに即戦力として働いてもらってたんだよね。だから、見ていてかわいそうで仕方なかった」と。私自身に、そんな気はまったくなかった。むしろ、学生時代に真面目に勉強していれば、もっと仕事ができただろうにと恐縮していた。

「若い」というのはそれだけ拙くて、未完成で、恥ずかしいことだらけだ。この間まで、私はそれを否定的にみることが多かったと思う。でも、先輩と話をしていて、いい加減、あの頃の自分を認めてあげてもいいんじゃないかという気になった。「頑張ってたじゃん、私」未熟な分一生懸命突っ走っていた若い自分を、恥じるよりもほめてあげたくなった。

それがすなわち「年を取った」ということなのだろうか。でも、それなら年を取ることもそう悪くはない。そんな風に思わせていただいた、貴重な再会だった。

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小さな幸せ

我が家の玄関先に置かれていた、鉢植えの小菊が満開になった。11月に入ってぽつぽつと花を咲かせていたのが、このところの肌寒さのせいなのか一気にかわいらしい黄色い花を沢山つけたのだ。玄関周りが明るくなって、犬の散歩で通りかかった人から「きれいですね」と声をかけていただいたりする。「ありがとうございます」と返しつつ、私はちょっと感慨深い気持ちになる。

この菊の挿し穂を頂いたのは去年の春のこと。長さ約5センチ程度で葉もたった2,3枚だった。でも、小さな根がひょろひょろと付いたその苗は、娘が後生大事に持って帰ってくる間に、ぎゅっと握ってしまったためか途中で折れてしまっていた。

どうしようか。無理だよね。こんなになっていたら育たないよ。そう言いながら、それでも余っていた鉢に、折れた部分まで土の中にもぐらせるようにして植え込んだ。そこからはちょっと大き目の葉っぱが一枚、土の上にでているだけだ。しかも、日に日にそれは萎びていき、色も悪くなっていく。私も、娘も、もうこれは当然かれてしまうのだろうと、あきらめかけていた。

ところが、である。数週間もしたころだったろうか。その葉っぱと土との間の茎の部分に、ちっちゃなちっちゃな葉が顔をのぞかせはじめたのである。「もしかしたら・・」私たちは小指の先ほどの葉に期待し、夏に向け日差しがじりじりと強くなっていく中、毎日せっせと水をやった。

小菊はそれに応えてくれた。ちっちゃな葉がゆっくりと少しずつ増えていく。確実に成長していく。昨秋の花の季節にこそ間に合わなかったけれど、小菊はそうやって無事に夏、秋、冬と乗り越えていった。そして、次の春を迎える頃にはしっかりとした苗になり、こうして秋を迎えることが出来たのだ。

あの時たった一枚の葉っぱでしかなかった小菊が、今、目の前できれいに咲き誇っている。赤茶色に変色した葉っぱを思い出すと、ここまで回復したのがうそのようだ。そのことが単純にうれしい。「あの時、捨ててしまったりしないで、本当によかったね」娘とそう言い合いながら、何度も小菊をながめてしまう。

こんなところにも、小さな幸せはあるのだった。

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贅沢

高校生の頃、とある地方都市のニュータウンに住んでいた。山肌に沿うように家が立ち並び、山全体が住宅街になっているのだった。私が住んだ家は坂を登った一番奥の突き当たりだったから、家の前の道路はそのまま本物の山にさえぎられていた。夜になると道路を狸が横切ったし、下手すると朝もやの中カッコウの鳴き声が響いてくるのだ。

学校の帰り道、バス停から家まではあはあ息を弾ませながら山を登り、おかげで少しは体力がついたかもしれないが、夜になるとしんと静まり返るのが怖かった。それでも、秋、前方の山々が日一日と姿を変えていくのを楽しみにもしていた。

黄色と赤と。同じに見える日はなかった。色は少しずつ鮮やかになっていき、ある日、とんでもなく燃えた色に染まる。ほんのりと灯った街灯に浮かび上がる様は、息を飲むようだった。私は、家の前でただ呆然と眺めたものだ。でも、その風景はまた少しずつ色あせていって葉が落ち、すぐに雪に覆われてしまう。毎日その移ろいを眺めながら、最も美しいときはほんの少しの間しかないことを思い知った。

そう、紅葉はタイミングだ。山なら高低差でどこかは見ごろかもしれないが、平地ではそうもいかない。最も美しいときを見たいのなら、タイミングを計らないといけない。そう思っていた10年前の私は、素晴らしいと言われ、それでも見たことがなかった京都の紅葉を、旅館の予約をすることもなく日帰りで見に行こうと決めた。ニュースを毎日眺め、「見ごろを迎えました」の言葉を待つ。そして、いよいよその日、私は傍らで寝ていた夫に「今日にする」と告げると家を出、新幹線に飛び乗った。

数時間でたどり着いた京都の秋は、もう充分深かった。そして、私は京都の紅葉が何故美しいといわれるのか良く分かった。赤の色が違う。東京で見る茶色がかってくすんだレンガ色とでは、同じもみじだというのが信じられないくらいだった。

私は夢中で嵐山を歩き回り、写真を撮りまくって、夜にはライトアップされた清水寺まで堪能し、東京行き最終の新幹線に乗っていた。歩き回ったせいでふくらはぎが痛かったけれど、あんな充実した一日はなかったかもしれない。それ以来、残念ながら秋の京都は訪れる機会がない。

10月頃からだろうか。書店には沢山の旅行ガイドが並ぶ。どれも、紅葉が美しい京都の写真が表紙になって旅情をそそる。そんなガイドに書いてある極上の旅館で最高のもてなしを受けつつ愛でるのも心魅かれるけれど、それはもうちょっと年齢を重ねてからでもいい。その最高の旬を身軽に動いて楽しむのもやっぱり贅沢なんじゃないかなあと、ちっとも身軽でなくなってしまった私は思うのだった。

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マンボウの怪

私が小学五年生のとき、図工で木工製作をした。板を形どおりに切り抜き、彫刻刀で模様をつけるというもので、課題は「魚」だった。

人は魚と聞くと何を思い描くか。目があって、うろこがあって、背びれがあって・・。山の中の学校だったから、男の子の中にはやまめやあゆまでしっかり分かっている子もいたけれど、別に釣りに興味のない女の子だったりしたら想像するものは同じだ。教室のあちらこちらで出来上がっていく下書きは、どれも似たようなものになってしまった。

あせったのは先生だろう。「ほら、魚も色々あるでしょう? こういう魚ばかりじゃないし。体の大きさとか、模様とか違うし。・・・そうだ、図書室から図鑑を持ってきましょう。その中から好きな魚を選んだらどう?」かくして、知識のない私達は図鑑に頼ることになった。

確かに、図鑑の中には私たちの想像以上の色んな魚がいた。深海魚なんて、頭にランプまでつけている。皆はそれぞれ好みの魚を見つけ出し、ようやく、それぞれ個性的なものになり始めていた。

私が目をつけたのは「マンボウ」だった。ずんぐりむっくりした体。申し訳程度についた尾びれ。こんな魚は見たことがない! 私は大喜びでその絵を書き写し、得意満面で先生に見てもらいに行った。が、先生は見るなりため息をついた。そして言った。「ちゃんと図鑑見た?」見た。きちんと見た。見たとおりに書いたはずだ。でも先生は言う。「ここに体長が書いてあるよね」じっと見ると「体長2メートル以上」と書いてある。「これはどういうことかな?」

先生の見立てはこうだ。こんな形の魚はいるはずがない。この申し訳程度に書いてある尾びれは省略されているものに違いない。本当は鳥の尾長のように、尾びれが長々と続いて2メートルにまでなっているのだ、と。ふむ、そうかあ、そう言われればそんな気もする。でも、もう変わった形の魚はみんなに取られてしまっていた。仕方がないとあきらめた私は、魚の模様をトランプのスートなんかにして、お茶を濁したのだった。

10年後のことだ。私は彼氏と初デートで水族館へ出かけ、本物のマンボウを目の前にして愕然としていた。水槽の中では、まるでぶった切ったような妙な形の大きな魚が、ゆらりゆらり・・。「先生のうそつき・・」そう、図鑑の絵のままそこに存在していたのだった。

ちなみに今でもその先生とは年賀状をやりとりしている。でも、先生への年賀状を前にする度、マンボウの話を書こうかどうしようか迷うのである。

(マンボウの形なんて忘れてしまった!という方はこちらをどうぞ)

追記

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夢半ば

私と夫が付き合い始めたばかりの頃だから、もうかれこれ20年ほど前のことになる。「高校時代、好きなアイドルとか、いた?」という私の問いに夫はなかなか答えず、そして気恥ずかしそうに口にした名は「本田美奈子」だった。

えっ? あのお腹出してる? 茶髪の? 真面目が服を着て歩いているような夫にはあまりにも似合わなかった。「なんで?」「どういうところが?」畳み掛ける私に夫はふくれっつらで、「いいでしょ、別に」と言ったきり、何も教えてくれなかった。

彼女を久しぶりにテレビで見たのは去年の春のことだ。ある番組で特集されていたのを偶然見かけたのだった。アイドル歌手からミュージカル女優へと脱皮したのは知っていたが、活躍の場をクラシックに広げていたことはその番組で知った。彼女はその中で幸せそうに歌を歌い、「レッスンすることでどんどん音域が広がっていくのがうれしくてしかない」と目をきらきらさせていた。その様子に司会の北野武が「(出会うべきものに)出会ったということなんだろうね」という意味のことを言っていたのだが、私も同じことを考えていた。

出会うべきものに出会える。そんな幸せは誰もがつかめるものじゃない。うらやましいと思いつつ、何も努力していない自分はそう思う資格さえないのかもしれないなあと感じていた。が、その後間もなく彼女は急性骨髄性白血病の発病。10ヶ月の入院。

訃報はネットのニュースで知った。別室で同じようにパソコンに向かっている夫のもとに行って声をかけた。「ニュース、見た?」「うん、見た」「まだ若いのにね」

夢半ばの人の死はやりきれない。小さな子供も。私たちの同年代でも。その人の無念さを想像してしまうから。残された人の悲しみが分かるから。

夫はキーボードの上の手を止めて、ぽつりと「白血病かあ・・」とつぶやいた。

故人のご冥福をお祈りします。

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私のカウンセラー

この数日は本当に穏やかなお天気が続いていて、庭仕事にも精が出る。さわやかな青空の下で娘と一緒に土に触れるのは、本当に気持ちがいい。庭いじりをしている間、すぐ前の道路ではいつもの近所のおじいさんがバットの素振りをしていた。当然のように私とは会話になる。そういえば、最近この辺りに引っ越してきた方が、私とおじいさんを同居の舅と嫁だと思っていたらしい。それぐらい、私とおじいさんはいつも立ち話をしている。

おじいさんはかなりの高齢なので、元気ではあっても同じ話が何度も繰り返される。今日もまた海軍に所属してラバウルに行ったときの話だ。私はいつものように花の手入れをしながらおじいさんの話に相槌をうつ。

「海軍というところではね、色々なこと学ばせてもらったよ。いいところだった」でも、懐かしそうに語った後で、こう付け加えた。「二十歳になるかならないかの仲間がね、沢山亡くなった。あんな大きなアメリカと戦争するなんて、やっぱり間違いだったな」おじいさんはバットを振り続ける。

「亡くなった者がいて、私のようにこうして生き残ったのもいる。もう、ね。これは神仏が決めていることなんだと思うんだ。仕方のないことなんだな」おじいさんはしみじみと語っていた。

「私はこの年になっても聴診器で診てもらうようなことはないの。健康でね。こんな自分の年も分からないぐらいまで生きてきて、でもこうやって健康でいられる。これも神仏が私に与えてくれたことなんだよなあと思うんだ」

「本当にありがたいことだなあと思うよ。こうしてお話を出来るご近所さんがいて。こんな静かな素敵なところに住めて。このご恩をみんなに返したいと思うんだけれど、なかなか難しくてねえ」おじいさんの言葉は半ば独り言みたいだったけれど、今の私には一言一言がとても心に沁みた。

そろそろ引き上げようかと思った頃、おじいさんは空を見上げて言った。「太陽っていうのはすごいねえ。やっぱりこの世の中で一番えらいのは太陽だねえ。いや、太陽を作った神様が一番かなあ」そして、続けた。「奥さんは、今日の太陽みたいな人だね」

そんなの、とんでもない話だ。私はいつもうじうじ悩んだり、娘を怒りつけたりしているんだから。そう反論しようとしたらおじいさんは言った。「実をいうと、だんなさんはもっといい人だと思うね。あれは立派な男だね。男が男に惚れるっていうのは、こういうのを言うんだね」

私は少し吹いてしまった。だって、おじいさんとうちの夫は毎朝挨拶を交わすだけで、会話なんてしたことがなかったのだから。そんなおじいさんの人間観察眼、正しいのかどうかちょっと分からない。でも、帰ってきた夫にこの話をしたら、夫は喜んでくれるだろうか。

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お礼

一昨日の記事にコメントを寄せてくださった三人の方々、また、これに関するほかの記事でコメント、メールなどで励ましてくださった皆様、本当にありがとうございます。話が話だけに身近な人達に相談というわけにもいかず、もんもんと悩んだ中で皆さんのお言葉には本当に勇気付けられました。改めて御礼申し上げます。

今回のこの件に関しては、先生にお話して一応の解決はつきました。詳しいことはお話できないのですが、想像していたよりも根が深い問題ということではなさそうなので、今後のことは多少気になるものの少し安堵しているところです。ご心配をおかけしました。

まあ、ただ、事実を告げた娘に、まず担任の先生は「これこれこういうところをあなたが直せば、こういういたずらもされなくなるんじゃないか?」と諭したのだそうで、ショックを受けている娘にこういう対応はどうなんだろう? という気がしないでもありません。が、これ以上このことについて話すと本当に愚痴モードに入ってしまうので、今は避けたいと思います。

とにかく、問題は時間と環境の変化が解決していくと強く感じています。今はやはり、娘を暖かく見守っていこうと思います。皆様、本当にありがとうございました。

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